※ネタバレを含むクチコミです。
ドラクエ好きは読むしかない。 ドラゴンクエスト1〜3の世界観で描かれます。 印象的なシーンは、獣王グノン編です。 アリアハンの前に、10万匹の魔物が現れて、アルス達に攻撃を仕掛けてきます。 勇者アルスとその仲間達は、どんどん敵を倒していくのですが、流石に数が多すぎて、力尽きそうになります。 この後、大切な仲間があんな事になるのは、漫画を見てからのお楽しみです。 でもドラクエをやりこんでいる僕から言わせれば5万匹とか雑魚敵倒せば、多分レベル死ぬほど上がっているから、獣王とかワンパンなはず。 それと、こういう時はダンジョンに入る時と一緒で、魔法はできるだけ使わずに、戦うのが定石なのだけどアルス達は序盤から魔法をバンバン使っているの。 これは作戦ミスですね。 10万の敵をガンガンいこうぜで戦ったから、大切な仲間があんな事に・・・・ 勇者アルスのいちばんの失態だと思う
小学生の時分。まわりが、ジャンプやサンデーやマガジンで湧いていたころ、ひねくれ者だった自分は「ガンガン」を読んでいました。 というか、わりとクラスで、地味めの、いわゆるオタクっぽい輩は大体ガンガンだった。(あくまで個人的な感想です) 「魔法陣グルグル」「ハーメルンのバイオリン弾き」そしてこの「ロトの紋章」は当時、ガンガンの3大タイトルでした。 ジャンプで例えるなら「ドラゴンボール」「スラムダンク」「幽遊白書」みたいなもんです。(ちょっと違うか) ジャンプでドラクエをベースにした「ダイの大冒険」がヒットしたので、エニックス(現:スクウェア・エニックス)のお膝元である、ガンガンで連載したのでしょうかね? ガンガンには、既にドラクエの「4コマ漫画」が掲載されているので、「ドラクエ要素」は結構あったのですが、 4コマがギャグならこっちはシリアス路線で、小学生ながら違う味を楽しんでました。 大人になった今、電子書籍でもう一度読み直してしまいました。 懐古厨といわれても、いい。 今読んでもホントに面白かったです。 著者いわく、電子版配信にあたって今風に加筆修正されているそうです。 その意欲スゴっ! なのですが、一方でストーリーの大筋は変わっていないので、 小さい頃読んだことある人でも、特段違和感はないように思います。 さて、本作の魅力ですが、個人的には2つあると思ってます 1つ目は、純然たる少年漫画であること。 2つ目はそれに加えて、人生の苦味とも言える要素があること。 私はこの2点だと思っております。 1点目は、とにかく少年漫画の王道。 ストーリーも有りてい言えば、修行して強くなって、悪い魔王を倒す。 んで、魔王は底なしに悪いやつ。という設定は、少年漫画そのものです。 更に、少年漫画ではド定番の「必殺技」もたくさんでてきて、特に賢者(賢王)の合体魔法は、ゲーム好きでもあった自分には胸アツな技でした。 小学生の頃はよくマネしたり、自分で考えたりしたものです。 敵キャラも、獣王、竜王、冥王など四天王のようにわかりすく強そうな感じで登場し、味方サイドも剣王、拳王、賢王という、これまた戦士、武闘家、賢者というわかりやすく職業が決まっているのが良い。 シンプルでわかりやすいのは、少年漫画としては大事ですね。 そして2点目は、これが割と大人になった今でも無理なく読めたところなのですが、上記のように少年漫画チックにしておきながら、人生の苦味ともいえる要素があって、例えば、重要な人物が結構死ぬということ。 しかもあっけなく。 少年漫画では、よくある 「実は死んでませんでした~(てってれー)」 みたいなことがなく、ガチで死にます。 ドラクエならザオラルがあるよね? 世界樹の葉があるよね? なんて、どこか思っていた節があったので、このガチな死は子供ながらにトラウマだったんですね。 ですが、今読むと、 「まぁそうだよなぁ」 世界救うのに、こっちの犠牲は0じゃすまないだろ、と妙に納得してしまいました。 トラウマから納得。 この加齢とともに変わってしまった感覚もどこか楽しかったです。 特に、タルキンの決死のメガンテから、賢王覚醒は今読んでも涙してしまいました。 もう1つは、主人公のアルスが魔人王ジャガンとの初戦闘で、 ボロ負けして、最後に「ビビる」シーン。これが鮮烈なんです。 少年漫画の主人公ならどんな逆境でも、物怖じせず、引かぬ、媚びぬ、突っ込むの精神(少なくともジャンプなら)だと思うのですが、 本作では上記のとおり、主人公であり勇者でありながら、あまりに人間的(まるでモブキャラのように)に死を恐怖する。 少年漫画の主人公が超人的な強さと精神力をもった次元の違う存在、ある種の絶対的なヒーローとして君臨するのに対して、 本作のアルスは違うんですね。 そこが、大人になった自分はグッときたのです。 そこらへんの子供と何も変わらない一人の少年なのに、勇者の家系に産まれた血の運命と、世界を救う使命だけで気を張って戦ってきたのかと思うと、その姿に腹の底から応援したくなるんです。 (上述の戦いの後、アルスが再起する姿も、また涙ものです。) 勇者一人じゃ何もできない。 だからこそ、仲間の助けが必要だということを理解させてくれます。 勇者とは単純な強さだけではなく、仲間を信じ、助けあい、逆境の中で奮い立たせられる力なんだと身にしみてわかります。 ラストシーンの全人類VS異魔神も、アルスのその姿が際立ちます。 懐かしい人も、初めての人も、ドラクエ好きな人も、ファンタジー漫画の定番としてぜひおすすめしたい作品です。 余談ですが、惜しむらくは、 電子版には、背表紙がないってことですかね。 キャラが行進?していく姿が一枚絵になる、あれが何気に好きだったんですけどね。それが、ちょっと残念でした。
なにがって?金の掛かり方と挑戦心だ。 藤原カムイ氏の代表作はロトの紋章が有名だが、どちらかというとエンタメ性より実験性の高い作品を多く描いている漫画家で、この作品はおそらくその実験性と挑戦心で言えば氏の作品の中でも相当に高い作品であろう。 ストーリーを言えば、平和に暮らしていた姉妹の世界に謎の勢力が襲来して、世界から「色」が失われ灰色になり、人々は石となってしまい、妹も攫われてしまうのだが、なぜか平気な主人公と人の姿になった動物たちと一緒に7色の精霊たちを開放して、世界に「色」を取り戻そうという物。 どちらかというと童話的で、低年齢向けのシンプルなストーリーなのだが、なんとこの「色」本当に紙面で表現されているのである。 冒頭の数ページはカラーだが、序盤に色が失われると全編カラー印刷なのに白黒の紙面となり、赤の精霊を開放すると紙面に赤色が追加され、ストーリーが進む毎に色が増えていき、とにかく金も掛かれば手間もかかってそうな紙面。 描く方も描く方だが、描かせてくれる方も凄い作品である。 連載当時はインターネット黎明期でweb漫画なども個人サイトでは存在していたが、ココまで「色」を打ち出した作品は寡聞にして知らないが、れっきとした商業紙連載作品でのこれは相当な挑戦心を感じる。 先述したようにストーリー自体は童話的なギャグありの冒険ものだが、とにかくこの紙面の鮮やかさは素晴らしい。 しかしやはり全編カラーはモロに価格に跳ね返っており、1巻完結で2000円近い価格と、当時でも相当な値段の作品であった。 内容的には子供に読んで欲しいのだが、大人じゃないと手が出ない価格というのはやはり厳しかったらしく、当時でも部数は少なかったと聞くがさもありなん。 今現在は電子書籍やweb連載などでこの手の試みもやれるかもしれないが、その先駆性と実験性はやはり藤原カムイの作家性が存分に生かされている。 電子限定等でも復刊して欲しい作品である。
藤原カムイの最初期の短編集『BUYO BUYO』には『おいね』という漫画史上類まれな作品が収録されている。1983年発表の本作は、作画に藤原カムイを置き、原作を竹熊健太郎が務め、編集を大塚英志が担当している。つまり、のちに漫画界をあらゆる意味で席巻することになるこの三人が連名で共作しているということがまず類まれである。しかも、藤原と竹熊においては共に誌面でのデビュー作であり、大塚にいたっては大学を出たばかりの新米編集者として本作に携わり、まだ大塚英志の名前すら世には出ておらず、大塚某の名で本作に登場している。 ここでいう連名の共作に、作画の藤原と原作の竹熊の名があがるのは当然として、編集の大塚の名があげられるのは少々お門違いなのではないか、と思われる方がいるかもしれない。なるほど編集とはあくまでも裏方であり、作者の側とは明確に区別されるべき存在だ。ところが、裏方たる編集がどういうわけか漫画の物語に全面的に関与してしまうという点において、この漫画はまた類まれである。 1頁目のタイトルで連続大河ドラマと銘打たれた『おいね』は、たしかに大河ドラマっぽい感じではじまるのだが、どういうわけか、たかだか20頁あまりの尺で宇宙規模の物語にまで大発展する。漫画史上ほかに例を見ない「お詫び」なる制作者側からの謝罪文を合間合間に挟みながら、物語はさらに加速度を増していく。 あくまでも物語を引っぱっているのは、メビウス(=ジャン・ジロー)から多大なる影響を受けた藤原カムイの確信的なペンタッチであり、その裏で制作者側のギャグ?が大真面目にメタフィクション的に展開されるという、まさかの二重構造が『おいね』を漫画史上類まれな作品たらしめている。 おそらく、このアイデアの発起人は竹熊健太郎だと思われるが、何よりも頭が下がるのは、竹熊も彼を天才と称してやまない藤原カムイの作画である。彼は、コマとコマとがそもそも繋がっていないということを熟知しており、とにかくかっこいい絵を並べておけばそれだけで漫画を引っぱっていけるということを確信していたのだ。この発想はいかにもメビウス(=ジャン・ジロー)的だと思われる。のちの藤原のキャリアが作画を中心に展開されるのも大いに頷けることなのである。 竹熊はのちに『おいね』のメタフィクション要素をさらに過激にした『サルでも描けるまんが教室 サルまん』で漫画制作そのものを漫画にしてみせ、藤原と大塚は『アンラッキーヤングメン』で再び共作して、それぞれ時代を代表する作品を残している。 ちなみに『おいね』は竹熊健太郎が主催する電脳マヴォでも読めるようである。http://mavo.takekuma.jp/viewer.php?id=449 必読! と言わざるを得ない。
ドラゴンクエストの世界観を存分に楽しめる作品です。私はかなりのドラクエマニアですが、この作品を読んで、作者も本当にドラクエ好きなんだなと感じました。 世界観が過去のドラクエ作品のものなので、ドラクエファンの方であれば必ず好きになると思います。各シリーズの勇者の系譜も知ることができます。 各シリーズとの繋がりが分かってくるので、長年の疑問が解決して頭がスッキリします。勇者同様に、モンスターの系譜も分かるので、よりドラクエが好きになりました。 天空人や竜神族など、ゲームではあまり描かれていないシーンも登場するので、新たな楽しみが想像できます。 絵のタッチも繊細で美しく、気が付けば物語に入り込んでしまうような魅力があります。 ドラクエマニアから初級者まで幅広く楽しめる作品だと思います。
ドラクエシリーズが好きで、漫画の「ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章」も好きで、連載開始からずっと追ってきた40代男です。 ついに完結ということで本当にお疲れさまでしたと言いたい。 読者としても長い長い旅を終えたような気持ちです。 いま無料で読めるキャンペーン中なので、ドラクエ好きで未読の方は、ぜひこの機会に読まれてみては。
ゲーム「ドラゴンクエスト」の世界観を基にした漫画作品として、『ダイの大冒険(以下ダイ大)』と双璧をなす『ロトの紋章(以下ロト紋)』。いずれも独創性に溢れた、感動的な物語だが、作品の雰囲気はだいぶ異なる。 ロト紋で印象的なのは、敵対する魔王軍側のキャラクターの気味悪さだ。 バラモスゾンビ、知性を失った海王、ヤマタノオロチ、冥界の王、そして大魔王・異魔神……肉体がまるでアメーバや粘菌の様に広がり、触手を伸ばし、猛スピードで再生する彼ら。 スミベタで表現される闇の世界で、敵の余りの巨大さと不可解さに、手に負えない絶望的な戦いを強いられる勇者達。 ここで描かれるのは、人間の価値観の埒外にある者達の生き方、分かり合えなさだ。 ダイ大が、敵味方無くキャラクターの葛藤や成長を描き、読者の倫理観と共鳴する(大魔王バーンや冥竜王ウェルザーを除く)のに対して、ロト紋の敵キャラクターは、しばし倫理を根底から無効にして、読者を絶望させる。 そして不思議な事に、そんな絶望を、何故かもう一度味わいたくて、私達はこの作品に再び手を伸ばす。絶望からの回復が欲しいのではない。絶望の深淵を覗き込む事で、退廃的な安らぎを得る為に。
ビレッジバンガードというジャズ喫茶がありました。時代は学生運動の隆盛極まる1960年代の終盤。ここに学生運動にはどうも熱心にはなれない青年が集います。小説家を目指す中上健次、映画監督を夢見る北野武、そして連続射殺魔の永山則夫。さらに学生運動の側から永田洋子が合流。 社会の爪弾き者同士、ふしぎと意気投合する北野と永山。いつも言い訳ばかりでなかなか映画を撮ろうとしない北野が永山に出演依頼をかけ、脚本に着手し始めます。そして紆余屈折ありながら出来上がった脚本は、三億円を乗せた現金輸送車を襲う内容でした。 さあ、どこまでが真実で、どこからがフィクションなのか。 三億円事件は1975年に時効成立。 永田洋子については山本直樹の『レッド』を参照されるべし。 中上健次は1990年に獄中小説家としての永山則夫を擁護。 永山則夫は1997年8月に死刑執行。 北野武は1997年9月に自身が警察官に扮して銀行強盗をする映画『HANA-BI』でヴェネチア国際映画祭のグランプリを獲得。
※ネタバレを含むクチコミです。