けたはずれの無頼、三島麻紀男。彼の麻雀には、常識とか確率といったセオリーは存在しない。唯一彼のセオリーは点棒をより多くかき集めること!!
雀ゴロとは賭け麻雀で生活する人のこと。麻雀ライター福地誠(49歳男)は、稼げる雀ゴロを目指し毎日フリー雀荘に通う。行先は渋谷のユーユー。ピンの2・4、一発赤裏に500円。朝10時から2連勝した人に1万円の懸賞がつく。そのために漫画喫茶で待機し店に向かうのだ。麻雀が強いかどうかは分からない、ただ働きたくないという気持ちだけは本物だ。
天棒では無くチップを使う、つまり勝てば大金、負ければ文無し。ポーカールール勝負する麻雀の事”極麻” 言葉巧みに弱者を騙し食い物にする悪党どもの墓穴に、極麻無敗の天才雀士“飢狼の健”が牙を剥く!
警察のマル暴――暴力団担当の刑事が、ヤクザ顔負けの迫力ある容貌をしてることは有名だ。事実、暴対法以前のマル暴は、ヤクザと五分で渡り合わなければならないため、まさに極道と紙一重の日常を送っていた。抗争が相次いだ時代であれば、それは尚更だった。広島を舞台に、終戦直後から昭和40年代半ばまで続いた「仁義なき戦い」の只中、広島県警にはヤクザに恐れられる、突出したマル暴刑事がいた。広島と呉で勢力が四分五裂した抗争を繰り返すヤクザ、とりわけ神戸の二大組織・山口組を後ろ盾にした打越会と、本多会をバックにした山村組の抗争は、因縁の戦いを様相を見せていた。そしてその両組織の幹部に友や縁者を持ち、ヤクザと時に渡り合い、時に恐れられたマル暴――極道刑事。彼は拳銃を取り上げられ、警棒しか持たせられなかった時代から警察官を始め、長く血塗られた抗争の時代を駆け抜けた。波乱に富んだ型破り刑事の一代記!
「競技麻雀プロの第一人者」と「雀ゴロ」――1つの肉体に、まったく正反対と言える2つの人格が。1人の葛藤はやがて2人の闘いになっていた…
昭和39年、山口組の抗争がTVで実況中継された。しかも白昼に展開された市街戦である。人質を盾に、四国松山市内のビルに篭城する山口組系矢島組と、路上から銃弾を浴びせ続ける地元の強力組織・郷田会。双方がライフル、散弾銃、拳銃を手に、一歩も引かぬ意地を見せる命の応酬。現場に急行した警察の呼びかけも空しく、緊迫した市街戦は3時間以上に及んだ。市街戦の一方の当事者、矢嶋組を率いる矢島長次は、四国・今治市に本拠を置く当時29歳の若き親分。山口組の全国制覇が緒に就いた昭和35年、山口組三代目・田岡組長から盃を受け、24歳にして直参になる。それから4年後、愛媛県最大の都市・松山進出の機会が訪れる。しかしそこに、地元で強力な覇権を握る郷田会が立ち塞がった。
菅谷政雄―― そのあまりにもの悪さぶりゆえに煩悩から転じた「ボンノ」が通称となった菅谷政雄。昭和50年前後には最大組織である菅谷組を率いる実力者として、また三代目山口組若頭補佐として、その絶頂期を迎えていた。しかし、好事魔多し。松田組との間で勃発した「大阪戦争」を執行部にはからず手打ちに働くなど、自由奔放な菅谷の立ち居振る舞いは組織内で批判の的にさらされ孤立を深める。一方、菅谷組内部では、山口組直参昇格を求める菅谷組内の最大実力者・川内弘(川内組組長)との対立が深刻化していた。川内弘は「北陸の帝王」の異名をとるほどの男で、直参になる資格は十分だった。直参昇格を許さぬ菅谷は、ついに川内を射殺、これがきっかけとなり山口組は菅谷を絶縁処分とする。彼はなぜ、対立していたとはいえ身内である己の舎弟を殺害するに至ったのか? 当時の山口組には衝撃をもたらした内粉劇「川内弘射殺事件」の真相と、壮絶なヤクザの意地のぶつかり合いを鮮やかに描く!
「ヤクザ原理主義に徹した男」これが竹中武に寄せられるオマージュである。彼ほど、ヤクザの原点、ヤクザの筋を通すことにこだわった男はいない。数多い日本ヤクザの中で、もっともヤクザらしいヤクザ、任侠人の鑑と言えるというのが彼に付きまとう評である。竹中武――言わずと知れた山口組四代目・竹中正久組長の実弟であり、正久組長が山口組四代目になるまで率いていた竹中組を引き継いだ男だ。竹中正久四代目をして、「武はワシ以上にヤクザの素質を持っている」と言わしめた竹中武は、ややもすると武断・粗暴の男と見られがちだが、冷静で頭脳明晰、バランス感覚に秀で人情味あふれた名親分だった。あの「山一抗争」では山口組内でも圧倒的な武勲をあげ、最後まで「仇討しないで終結するのか」と徹底して抗争終結に異を唱えたが、ヤクザの理念を一筋に貫いたその生きざまは、いまもなお心にしみる光芒を放ち人々を魅了してやまない。
昭和30年代~40年代――戦後の日本ヤクザが光り輝いていた時代、明日の栄光を夢見、のちに伝説となる男たちが全国に割拠していた。そんななか、神戸を本拠に全国制覇を呼号して進撃を開始したのが山口組だった。率いるのは不世出の大親分・田岡一雄三代目。しかし、それを阻止しようとする勢力も黙っていなかった。山口組の前に大手を広げて立ちあがったのが同じ神戸を本拠とする本多会(後の大日本平和会)である。君臨するのは本多仁介会長。両者は兄弟分であったが、運命は二人を最大のライバルに仕立て上げていく。その本多会の采配を託されたのが「本多会の平田か、平田の本多会か」と恐れられた平田勝一だった。度胸と才覚に抜きんでた平田は、その負けず嫌いの本領を発揮し、山口組の行く手行く手に立ちはだかり真っ向勝負を挑んでいく。これは、そのヤクザの信念と勇将ぶりを見せつけた男の物語である。
「最後の博徒」として日本ヤクザ界に広くその名が知れ渡っていたのが波谷守之である。広島の「仁義なき戦い」とも多少の縁があったこの金筋博徒は、昭和52年の三国事件(「北陸の帝王」と呼ばれた川内弘・川内組組長射殺事件)で服役していた。しかしこれは冤罪であり、昭和59年晴れて出所。以降、彼を慕う三百人以上の若者が結集、波谷組が結成されていた。ところが平成2年、山口組弘道会系組織との間で、組員の移籍を巡って抗争に発展する。世に言う「山波抗争」である。抗争は苛烈を極め、人違い誤射殺事件、走行中の南海電車からの組事務所発砲事件、アジトでのロシアンルーレット誤発砲事件(一人死亡)など世の中を震撼させる事件が相次いだ。これは、命をかけた男たちの壮絶な戦いの軌跡である。
山口組との死闘を演じていた一和会に出現した新たな敵――それが「関東の雄」として盤石の勢力を誇る大組織・稲川会だった。北海道・北見市を舞台に突如勃発したこの抗争は、一和会ナンバー2の加茂田組重政理事長率いる加茂田組系花田組と稲川一家系岸本組内星川組との対決であり、花田組長が買い物先で血祭りにあげられたのが発端だった。原因は星川組長がメンツを潰されたから、というのが通り相場となっているが、骨肉の大抗争を戦う一和会にとって、この新たな強敵の出現は悩ましいものだったろう。すでに一和会には、腹背に敵を受け両面戦争を演じるだけのゆとりはなかったからだ。この局面を一和会はどう乗り切ったのか? その一部始終をお届けする。
六代目山口組・司忍組長収監中の平成二十年十月に発生した後藤組・後藤忠政組長の除籍処分は、「山口組再分裂か?」と思わせる緊迫した状況を生み出した。組内で抜きん出た存在感を発揮する大物組長の処分だけに、これを擁護する面々が連名で処分撤回と執行部批判の怪文書を出して叛旗を翻したのだ。一気に緊迫の度を深める山口組。しかし、執行部は果断な処置をもって、またたくうちにこの混乱を収めた。その先頭に立ち辣腕を振るったのは高山若頭だった。
田岡一雄三代目に率いられた神戸の山口組は、昭和30年代に入ると全国各地に怒濤の進攻を開始する。だが、すぐそばの京都だけは手つかずの空白区として残されていた。千年の王城の地である京都には、幕末から大侠客として全国にその名を轟かせた「会津の小鉄」の系譜を引き継ぐ中島会連合会(後の三代目会津小鉄会)図越利一会長が控えていたからだ。しかし、山口組は昭和30年代末に京都進出を本格化させ、ついに京都一の繁華街である木屋町を舞台に会津小鉄会との間で抗争へと発展、国会でも取り上げられる深刻な事態となった。その後、山口組は京都進出を断念し一斉に京都から撤退した。これは、破竹の勢いで全国制覇に邁進する山口組を相手に、一歩も引かなかった京都ヤクザの戦いの記録である。
主に関東に地盤を築く日本最大最強のテキヤ組織・極東会と山口組山健組が、平成五年七月、北の大地・北海道で山口組山健組と激突した。極東会系組長が山健組系幹部を刺殺したのがきっかけだった。抗争は北海道から東北、首都圏に飛び火し、各地で凄まじい攻防戦が展開された。極東会は遠く神戸に遠征、山健組関連事務所に発砲するなど果敢な戦いを挑む。しかし、山健組は東京で極東会関係者を射殺するなど、その反撃は苛烈を極めた。のちに「山極戦争」と呼ばれたこの抗争は、死者三人、重軽傷者六人をだして終結。この物語は、この抗争に命を賭けて戦った男達の壮絶なドラマである。
1997年8月――五代目山口組若頭宅見勝暗殺!!襲撃したのは五代目山口組きっての武闘派軍団中野会!!大激震から血で血を洗う報復襲撃のドキュメントストーリー!!
経済ヤクザの代名詞とも言われた宅見若頭がなぜ凶弾に倒れたのか??数々の抗争をくぐり抜け、頭脳だけでない武闘派としての圧倒的強さを見せつけて、地下経済の覇者となる。壮絶抗争のドキュメントストーリ!!
1986年12月――日本最大の山口組軍団と九州極道界の雄・道仁会が激突!!「山道抗争」――それは昭和61年から62年にかけ、山口組系伊豆組及び稲葉一家と福岡・久留米市を本拠とする独立組織・道仁会との間で、九州各地を舞台として戦われた大抗争だった。極道抗争史上もっとも過酷とも言われた抗争のドキュメントストーリー!!
菱の軍団、首都圏へ轟然と進撃する。八王子抗争・札幌事件・みちのく抗争と首都圏に侵攻を図る山口組と迎え撃つ関東ヤクザ組織!!相次ぐ血の報復が連鎖!!硝煙弾雨必至!!壮絶抗争ドキュメントストーリー!!