「たま」という船に乗っていた

伝説のバンド「たま」が教えてくれる大切なこと #完結応援

「たま」という船に乗っていた 石川浩司 原田高夕己
兎来栄寿
兎来栄寿

先日、久松史奈さんが「さよなら人類」をカバーした音源を発表しました。原曲から比べると非常にアップテンポでパンキッシュなアレンジなっており、音としては2000年前後を感じる不思議で心地よい感覚でした。その「さよなら人類」を世に送り出し一世を風靡したアーティスト、たま。 石川浩司 知久寿明 柳原陽一郎 滝本晃司 「たま現象」とまで呼ばれた社会現象も巻き起こした、空前絶後の個性の塊のような伝説のバンド。2003年の解散後に中心人物である石川さんが書き下ろした同名のエッセイを元に、原田高夕己さんが追加取材を重ねてコミカライズしたのがこちらです。 webアクションで連載され最終話とエピローグが5月31日に公開予定ですが、それに先んじてそこまでを収録した2冊目の単行本である『らんちう編』が発売となり完結までを読了しました。 私は「さよなら人類」くらいしか知らない完全に後追いの世代ですが、この作品を読むことでたまという存在の面白さや偉大さを知ることができました。これを書いている最中に「さよなら人類」や「らんちう」を聴いていたら、同じく世代ではない家族も歌を覚えて口ずさんでいました。時代も国境も人種もすべて超える音楽のパワーの片鱗を感じました。 音楽でお客さんを楽しませようとするエンターテイナー精神はもちろんのこと、音楽以外の部分でも空き缶を30000本集めたり、レンタルボックスの先駆け的なお店を始めたり、とにかくやりたいことや楽しいことを追求している石川さんの姿勢は多くの人に感銘を与えるであろうものです。たまのファンはもちろんですが、そうでない人が読んでも楽しめるであろう部分が多々あります。 バンド全体としても、たとえ舞台が武道館であってもまったく気負うことなく、紅白に出ていたときでさえ合間の時間に抜けて劇を観に行くなど、肩の力を抜いて自然体であり続ける姿勢は、何かすごく大切なことを背中で語ってくれているように感じます。 藤子Aさんチックな絵柄で描く、原田高夕己さんの筆致もまたこの作品において絶妙です。基本は親しみやすい線で読みやすく、昔の大御所作家から現代のネットミーム的なネタまで幅広く入れ込んでありユーモラス。ただ、ここぞというシーンは最上の演出でキメてくれます。1巻最後のたまがスターダムに上る大きなきっかけである伝説の「イカ天」出演時のお話や、終盤のいくつかのライブシーンなどは特に最高です。 セカンドアルバムを作る時の「国内のスタジオの使用料がバカ高いから渡航費や宿泊費含めても海外の方が安上がりなのでイギリスとフランスでレコーディングする」というエピソードや、女性ファンがメンバーの泊まるホテルを特定して、ロビーで酒を飲みながら待ち構え、本人たちを描いた18禁BL同人誌を直接手渡したという今だったら大炎上不可避案件には時代を強く感じました。価値観の変容が読み取れるところは、史料的な意義も感じます。 何事も始まりがあれば、終わりもあるのがこの世の理。たまという船から下りる人が出てくるころのお話は切ないです。日本を飛び越えてワールドワイドにも活躍したたま。その「最期」は胸に来ました。 最後のエピローグの後に、石川さんの「玄関」という曲の歌詞が綴られており、そこにある仕掛けやあとがきも含めて何とも言えない良い読後感に包まれました。 ″世の中何がおこるかわからないから 色んな事楽しみにして ニコニコゲラゲラ 笑って生きていくといいと思うよ〜!″ これからどんな風に世界が変わっていこうとも、この石川さんの言葉に救われる人が多くいることを祈ります。 たまを好きな方は読んで懐かしみ、たまを知らない方はこれを機にこんなすごい人たちがいてこんな曲があったのだということを知るきっかけにしてみてはいかがでしょうか。

オリオン明滅す

対人ゲームの根底にある最も強い感情 #1巻応援

オリオン明滅す 西倉新久
兎来栄寿
兎来栄寿

『HOTEL R.I.P.』の西倉新久さんの新作は、eスポーツ、より正確に言えばバトルロワイヤル系FPSマンガです。 FPSといえば『PUBG』、『Apex Legends』、『フォートナイト』、『荒野行動』、『VALORANT』などが有名です。 先日、とある付き合いで行ったお店で若い子に「L'Arc〜en〜Cielって何ですか?」と聞かれて衝撃を受けました。その子は、「ファイナルファンタジー、やったことないです。ゲームはエペ(Apex Legends)とかヴァロ(VALORANT)ならやります」とも。今はそういう時代なんですよね。 ともあれ、本作はまさにそれらバトロワ系FPSに類した作中作「PULSATE(パルセイト)」で最強を目指す27歳のプロゲーマー南条優人が主人公の物語です。 年齢的に周囲に引退者も出始め、家族にも自分の仕事を理解されない。チームメイトももっと強いチームへ行くと揉めて辞めてしまった。しかし、ゲームで負けた時の悔しさはずっと変わらない。 ″FPSは怒りだ″ の文言が表紙に、何ならタイトルよりも目立つくらいに印字されているのが好きです。 私は元々、対人だと長らく格闘ゲームを嗜んできましたが、周りにいた強いプレイヤーのモチベーションの源泉には純粋に上手くなりたいという想いももちろんありつつ、「あいつ絶対殺す!」という他プレイヤーに対する怒りや殺意が一番強い感情として存在したのは否定できません。「e殺し合い」とはよく言ったものです。 ギリシャ神話のオリオンは、「地上に住む全ての獣を殺す」と言い放ちました。その結果ガイアの怒りを買って殺されてしまうのですが、それにも似た猛々しい瞋恚がこめられています。 現代社会において本気で誰かと闘争するということを日常的に行なっているのはごく一部の体に恵まれたアスリート・格闘競技者くらいですが、ゲームの世界でも物理的なスポーツと同じくらいの熱狂が生まれ真剣勝負が日々繰り広げられています。 この『オリオン明滅す』には、その熱量が確かに宿っています。 ″このクソ田舎でオレだけが知っている一番熱い舞台を 冷やかし気分で汚すんじゃねえ″ という富山が地元の優人の言葉に滾ります。 本作は、優人が天才的なプレイスキルを持つダイヤと出会い新たなチームメンバーへと加えようとすることで物語が展開していきますが、ダイヤの天才性による気持ち良さと、一方でひとりの天才がいてもそれだけでは勝てないチームプレイの難しさや面白さも上手く表現されています。 eスポーツ好きの方はもちろん、そうでない方も読んでみると今非常に熱い世界の様子を垣間見ることができるでしょう。

DOGA

不思議なコンビが世界を往く #1巻応援

DOGA 武田登竜門
兎来栄寿
兎来栄寿

『BADDUCKS』や、SNSでバズった読切「大好きな妻だった」などで知られる武田登竜門さんの最新作です。 魅力的なファンタジーは、その世界にリアリティを感じさせてくれます。虚構として大小の嘘はありながらも、その世界が本当に存在しているのではないかと思わせてくれる肉感。それを生じさせるのは嘘を下支えするディティールと、何よりヴィジュアルが生み出す説得力です。 『DOGA』は、そういう意味でとても魅力的なファンタジーです。庶民の衣食住や仕事や娯楽、この世界独自のシステムなどを通して、そこに住む人の息遣いが感じられます。武田登竜門さんの新鋭とは思えない高い画力が紡ぎ出す世界の情景に、異国の地を旅している気分を味わえます。見開きでバーンと豪奢に描かれる世界は、見ているだけで楽しめたりワクワクしたりします。 世界のほとんどが海であり陸地が1/10以下の星の上で、ソテルナの新領主となったヨーテルダと雑多な労働やゴミ漁りでその日暮らしをしている孤児のドガ。 身分のまったく違うふたりが出逢い、旅をしていく物語となっています。 メインキャラクターも今風のわかりやすいイケメン美女ではないところがまた硬派で、味を生んでいます。ドガの豪放磊落な性格と、未知と遭遇した時のリアクションが読んでいて楽しいです。この世界のことを知らない私たち読者と同じ目線を提供してくれるので、物語に入り込みやすくなっています。 最近では、主人公の名前だけがタイトルになっている作品も珍しくなっているので、そういうストレートな部分も良さが感じられます。 旅をするには不向きであり、かつタイムリミットが生まれてしまっているヨーテルダとの困難多き旅路は果たしてどうなっていくのか。 人魚は本当にいるのか。 ヨーテルダは命を繋ぐことができるのか。 ヨーテルダの兄、ビヨルクが握るソテルナの秘密とは何か。 何より、まだ見ぬ広い世界にどんな光景が待っているのか。 この先も楽しみです。

女王陛下の紅茶

紅茶の奥深き世界 #1巻応援

女王陛下の紅茶 イトカツ
兎来栄寿
兎来栄寿

『銀のニーナ』のイトカツさんが2007〜2011年まで、かつて存在した『スーパージャンプ』及び『オースーパージャンプ』にて不定期で散発的に描いていたシリーズが長い時を経て単行本化されました。 鎌倉の紅茶専門喫茶店「ERNEST」を舞台に、さまざまな悩みを持った人が来店してそれぞれに合った紅茶を提供されることで人生の悩みを解きほぐしていく1話完結型の物語です。 我が家は常飲するのは緑茶とコーヒーがメインですが、それなりに紅茶も飲むので紅茶に関するさまざまな知識が詰まったこの作品は興味深く読みました。 イトカツさんがあとがきで述べている通り、リーマンショック直後のお話のように時勢が変わってしまっているものもありますが、一方で紅茶にまつわる基礎的な知識は年月を経ても普遍的なので今読んだとしてもまったく問題なく楽しめます。 ・硬水を使ったミルクティー ・中国のブルゴーニュ酒と言われる紅茶 ・フォートナム&メイソンのアールグレイクラシック ・レモンたっぷりドライベンガルタイガー ・紅茶の中にジャムを入れない正式なロシアンティー ・チャイ などなど、ひとくちに紅茶と言っただけでは想像しにくいさまざまな側面を見せてくれます。 そして、訪れるお客さんも老若男女さまざま。家庭の問題や仕事の問題、個人的な人生におけるモチベーションなど悩みも人それぞれ。人によって、共感できるエピソードがどこかしらあるのではないでしょうか。各々の物語に沿った紅茶が提供されることで、彼らが立ち上がって前を向いていく姿にも心が温まります。 奥深い紅茶の世界について知見を深められながら、温かい人情ドラマを楽しめる作品です。読むと、ちょっと良い紅茶を淹れて飲みたくなります。

ブルーブルーそしてブルース

26歳と66歳のクロスロードブルース #1巻応援

ブルーブルーそしてブルース 榎屋克優
兎来栄寿
兎来栄寿

『日々ロック』の榎屋克優さんが、ブルースを描く。それだけで事件ですし、熱いものがこみ上げてきます。 忌野清志郎と甲本ヒロトを愛していて「ブルースはどちらかというと古臭い」「ビートルズやストーンズの方がかっこいい」と思っていたという榎屋さん。ですが、この作品を描くにあたってブルースを聴いてみたらどハマりしてしまったそう。 そもそも、作中でも語られる通りロックのルーツもブルースですからね。必然的な帰着なのかもしれません。私自身も元々はロックが大好きでしたが、ジャズやブルースをこよなく愛する親族の影響で有名どころは聴いてきています。ブルースにはブルースの、また違った良さがありますよね。 本作では第1話「Change My Way」からサブタイトルがブルースの有名楽曲名となっています。ブルースに馴染みのない方も、まずはこのサブタイトルになっている曲辺りから聴いてみると良いのではないでしょうか(第2話の「Everything's Gonna Be Alright」は検索するとSweetboxの方が先に出ると思いますが、Muddy Watersの方でしょう)。 本題の作品内容は、26歳の健康食品会社の営業である田中が十字路で悪魔に40年の寿命と引き換えに「ブルースマンになりたい」という願いを叶えてもらう契約することで、憧れの66歳のブルース奏者である仲村弦と入れ替わってしまうというものです。27歳で逝去した伝説のブルース歌手ロバート・ジョンソンのクロスロード伝説に擬えているのは言うまでもないですね。 ただ、ロバート・ジョンソンは恐るべきギターの腕前を手に入れましたが、田中はさしてギターも上手くないまま弦と入れ替わってしまったことで、むしろ苦労します。 通常、転生モノや入れ替わりモノだと、元の体での経験や知識を活かして無双したり、あるいは替わった先の体の超絶技能を駆使する展開だったりが多いですが、田中はその逆を行っているのが面白いところです。もし自分が推しに転生したらと想像すると、恐れ多すぎて慄きまともに動けないことでしょう。田中の苦労は察するに余りあります。 一方、元の田中の体には弦が入り、ミュージシャンとして自由を謳歌してきた人生から一転して毎日満員電車に乗って出勤するサラリーマンとしての生活をスタートします。弦が未経験ながら持ち前のコミュニケーション能力で見事に営業の仕事を行うシーンでは、アンドリュー・カーネギーを思い出しました。このふたりの入れ替わり生活の対照的な様、それでも根底にある音楽の楽しさや素晴らしさが読んでいて心に響きます。 3月に発売した『メゾン・ド・レインボー』などでも顕著でしたが、榎屋さんの描くキャラクターたちの何とも言えない人間臭さや温かみが心地良く、随所で利いています。人生のどこかで交差したことがあるようにも感じられるサブキャラクターたちもとても魅力的で、ふたりと彼らの関係性も見どころのひとつとなっています。会社のメンバーとのカラオケのシーンや、ボトルネック奏法のシーン、京都の一幕など好きな良いシーンがたくさんあります。音楽が絡むシーンの熱量は流石です。 物語の行く末は開幕1ページ目で暗示されており、まさに憂歌の様相を感じさせていますが、40年の寿命を捧げた田中と40歳差の弦は果たしてこれからどうなっていくのか。 ウイスキーと音楽と一緒に嗜めば、良い夜になること請け合いの作品です。

たたかいのきろく

しょうもなすぎるたたかいのきろくに笑ってしまう!

たたかいのきろく 小田扉
吉川きっちょむ(芸人)
吉川きっちょむ(芸人)

「たたかい」とは得てして始まりはしょうもないものである。 小田扉先生の新作は最高に面白く1話だけで大好きになりました! 読んでいくと引き込まれてじわじわ面白さが込み上げてくるタイプの良さでした! https://comic-action.com/episode/4856001361536031451 これは「戦い」でも「闘い」でもなく、「たたかい」というひらがなにひらいているのがなんとも力が抜けて気持ちのいいニュアンスになってていいですね! さまざまな「たたかい」の「きろく」を描いていくこちらの漫画。 第1話から、わー!っと万歳したくなるほど楽しかったです! 「きろく」なので、あくまで時系列と起こった事象を淡々とマジメに追っていきます。 争いの種にはなっているものの、非常にしょうもなくてそれを語るほどのことなのか、という部分にもしっかりマジメにフォーカスしてるもんだからあまりにふざけていて馬鹿らしくて笑っちゃいました!でもあくまで「きろく」なんですね! そこに「たたかい」があるから「きろく」してるだけなんです! 人類が生きていくうえで絶対に「きろく」しなくていいことなのに! でも二つの立場があって意見が割れて互いに対してのさまざまな感情が積み重なったらそのとき事件が起きるわけですが、そこのそれは放っといてあげてというレベルまで詳細に掘ってくれてるので最高でした。 これが「きろく」するということなんですね! 早く2話が読みたいです!!

お守り女房

そのただ一言が聞きたくて。 #1巻応援

お守り女房 山口カエ
兎来栄寿
兎来栄寿

コメディではありながらも基底となる設定に切なさがあり、敷き詰められた笑いの隙間から仄かに滲み出てくる作品は何とも堪りません。 『魔法少女大戦』や『消滅都市』などで有名なイラストレーターの山口カエさんによるこの『お守り女房』もそんな作品です。 83歳で妻に先立たれてしまった男性・伊豆沼蓮太郎の下に、死んだ妻・華代が何とお守りの姿となってやってきて共に暮らしていく様子が描かれます。 妻のキャラクターが典型的な昭和の妻という感じではなく、箪笥にはエアガンやヌンチャクがしまわれていたり、暗視スコープやギリースーツまで所持していたりと自由奔放。お守り姿となっても賑やかで、蓮太郎との愛と優しさに溢れた掛け合いは非常にハートウォーミングです。 華代は生前に蓮太郎から一度も「好き」という言葉を言ってもらったことがないという未練を抱えており、しかし昔気質の蓮太郎はそういった言葉を軽々には口に出せないという部分のもどかしさも良いです。 独居老人を狙った瓦詐欺や闇バイトなど時事ネタも上手く取り入れながら、賑やかで忙しない日常や非日常が面白おかしく描かれます。 しかし、華代も言う通りこの状況は本来不自然なもの。明るい雰囲気の裏には、いつか終わる夢のようなエクストラタイムの儚さと切なさがあります。それは、物語という優しい幻想の在り方にも似ています。 一人になったら米を炊くこともできない蓮太郎のような人は、現実にもたくさんいることでしょう。喪ってから気付いたり後悔したりすることばかりなのが人間ですが、こうした物語を通して喪ってしまう前に今大切にできるものをもっと大切に、できることをできる内にしようという気持ちにさせてくれます。 絵柄も綺麗で人を選ばない、間口の広い良質なコメディです。 補足として、細かい好きな点も挙げておきます。 ・長女の梗子も孫のはこべもすみれも女の子がみんなかわいい ・ステュムパーリデスはギリシャ神話、ヴェズルフェルニルは北欧神話とごった煮で好きな感じの厨二病あるある ・1話冒頭の謎の映画の腕ひしぎ十字固めから逆エビ固めに笑顔で移行するところ ・134Pの1Pまるまる使ったパロネタ