『松本正彦短編集 たばこ屋の娘』のクチコミ投稿
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松本正彦短編集たばこ屋の娘
松本正彦短編集たばこ屋の娘
松本正彦
松本正彦
あらすじ
「1970年代前半から中盤にかけて、松本さんは人知れず、自身のキャリアの真骨頂とも言うべき作品群を発表していたのだ」──大西祥平 解説より 「駒画」の提唱者にして後に続くオルタナの始祖、松本正彦が到達した叙情作品を一挙収録! 著者について 1934(昭和9)年11月24日、大阪市都島区に生まれる。9歳の時に父が病死、45年3月、太平洋戦争で空襲が激化、都島で空襲を受け、街は壊滅。母と妹とともに、焼夷弾の雨の中を死体を踏みながら逃げまどう経験をする。その後避難した堺でも空襲に遭い、大きなトラウマを残す。中学時代、級友の影響で手塚治虫作品にのめり込み、定時制高校在学時に手塚宅を訪ね、マンガを語る手塚の情熱に感動。処女作「地球の最後」を一気に描きあげ、大阪の小さな出版社、東洋出版社(のちの八興/日の丸文庫)に持ち込みをする。「地球の最後」は採用されなかったが、続いて描いた「ユーモア学校」が「坊ちゃん先生」と改題の上採用、デビューとなる。54年、八興で辰巳ヨシヒロと出会い、交流が始まる。「ユーモア学校」「サボテンくん」など、日常のリアリティに根ざしながら斬新な構図を取り入れた作風は従来のマンガ表現の一歩先を行くものであった。55年には八興より人気と実力を買われ、それまでと比べ大判のA5判単行本を手がけるようになり、「快男児」「地獄の顔」「金色の悪魔」を執筆。また56年1月に発表した描き下ろし単行本作品、私マンガ的メタ・コミックの形式をとった「都会の虹」で、オムニバス形式に挑戦。これがのちに短編集『探偵ブック 影』へと発展。56年4月に『影』に発表した短編「隣室の男」は、その後「劇画」と呼ばれることになる新たなマンガ表現の原型として大きな影響を与える。56年8月大阪天王寺区細工谷町で、同じく八興日の丸文庫からデビューしていたさいとう・たかを、辰巳と三人で合宿。「新しいマンガ」について日々激論を交わし、結果、56年9月、新たなマンガの手法を示す言葉として「駒画」という呼称を思いつく。後に辰巳ヨシヒロが提唱する「劇画」より一年以上先んじたアイディアであった。57年暮れ、新たな活躍の場を求め上京。折からの貸本マンガ短編集ブームで多忙を極めるが、それがかえって粗製乱造を招き、また貸本マンガ業界の凋落もあり、63年頃からは「土曜漫画」などの大人漫画に新天地を求める。70年代に入り、ひばり書房の描き下ろし単行本「かあちゃんキック」(72年)、「パンダラブー」(73年)でギャグマンガを手がける。72年頃から、『土曜漫画』、『リイドコミック』などに叙情的な佳編を発表して新境地を開拓。その後、79年より小学館『ビッグコミック増刊』に「劇画バカたち!!」を不定期連載(84年まで)。87年からは切り絵作家に転向。年に数回、個展を開く。2000年、ギャグ作品「パンダラブー」が突如再評価され、ひよこ書房からインディーズ出版(のちに描き下ろし新作を加え、2002年、青林工藝舎から再出版)。2003年8月、スキルス性胃ガンが発見される。2005年2月14日、胃ガンのため永眠。没後、初期劇画への功績と、それまでは知られていなかった70年代の叙情的作品への評価が高まり、その先進性、重要性が改めて注目されている。2009年9月現在、カナダおよびフランスで、過去の作品を集めた短編集が企画進行中。

松本正彦短編集 たばこ屋の娘

まつもとまさひこたんぺんしゅう たばこやのむすめ
著者:松本正彦
最新刊:
2009/09/23
まつもとまさひこたんぺんしゅう たばこやのむすめ
松本正彦短編集 たばこ屋の娘
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