綺譚社マンガの感想・レビュー3件手塚マンガ、大友マンガGOOD WEATHER 大友克洋影絵が趣味わたしには、はじめて外国文学を読んだとき、ちっとも読めなかったという経験があるのですが、みなさんはどうでしょうか。英語やフランス語やドイツ語やロシア語が読めなかったのではありません、あろうことか翻訳された日本語がちっとも読めなかったのです。読めないなりに読んでいるうちに、いつのまにか慣れてしまい読めるようになったのですが、あのはじめに感じた読めなさはいったい何だったんだろうと、いまでも時々思うことがあるのです。 そして大友克洋です。大友克洋をはじめて読んだときも、ちっとも読めなった。こういっては失礼というか語弊があるかもしれませんが、マンガなのにもかかわらず、ちっとも読めなかったのです。ただし、この読めなさには理由があって、すぐにそれに気が付くことができました。わたしは手塚治虫からマンガを読むようになった、これが大きな理由でした。周知のとおり手塚治虫はマンガの祖であり、マンガの描き方/読み方を体系化した人であります。つまり、わたしは、この手塚式のマンガに慣れ親しみすぎていたあまりに、手塚とはまるで異質のマンガ体系を持つ大友を読むことができなかったのです。手塚マンガは記号の集積であり、大友マンガはカメラのレンズであった、この体系の違いを察知してはじめて大友を読めるようになったというわけです。時代劇もあってバラエティに富む大友克洋の作品集。GOOD WEATHER 大友克洋地獄の田中大友克洋の作品集。初期の方は金もないし女にもモテない学生のアングラチックな日常とかバンドマンとかヤクザとかの話が多いし、「GOOD WEATHER」にもそういう話はあるが、「信長戦記」とか「CHUCK CHECK CHIKEN」は時代劇の漫画で珍しいなと思った。 信長戦記は「戦国自衛隊」の逆っていう感じで、戦国時代の武将たちがタイムスリップしてきて襲ってきた…っていう始まり方。時代劇っぽさがありながらSFも少し混じっていて結構面白かった。やや「気分はもう戦争」のような気配もあるかも。「CHUCK CHECK CHIKEN」もっとコテコテのドタバタ時代劇って感じ。 表題作の「GOOD WEATHER」は雨が降る寸前の海の家の話だけど、読後感の良い情緒的な話。 全体的にコミカルな調子があってダークさはあまりない。結構好きだった。 ただ、絶版で値段も高いので、大友克洋が大好きなら良いと思うが、少なくと「童夢」「AKIRA」的な話はないのでそこに期待しているのなら違うと思う。 「気分はもう戦争」から戦争テイストを抜いた感じかな?(違うか)大友克洋のかなり初期の頃の作品を集めた作品集BOOGIE WOOGIE WALTZ 大友克洋地獄の田中大友克洋作品集の中でもかなり初期の頃の作品が集まっている。絵も荒削りで中期頃くらいからの完成された絵の感じとは結構違う。大友克洋はあとがきとかで自分で言っているけど画面が白いのも特徴の一つだが、この作品集の作品は割と暗いものが多い。 内容も闇社会とか心中とか気が触れたような男の話だとか暗くて重たくて、社会のそういった面をかなり写実的に描いているようにも見えて最後の最後で放り投げる軽さのようなものがあって、「気分はもう戦争」とか重いテーマながらとどこか軽さのある作品作りを可能にするバランス感覚の芽は初期からあったんだなと思わされた。 色々な意味で一筋縄ではいかない漫画だけど、童夢やAKIRAに見られる破壊衝動の原点が見られるような気もする。 絶版で手に入りづらく、そして値段も高く、暗くて重たいが大友克洋ファンならぜひ。
わたしには、はじめて外国文学を読んだとき、ちっとも読めなかったという経験があるのですが、みなさんはどうでしょうか。英語やフランス語やドイツ語やロシア語が読めなかったのではありません、あろうことか翻訳された日本語がちっとも読めなかったのです。読めないなりに読んでいるうちに、いつのまにか慣れてしまい読めるようになったのですが、あのはじめに感じた読めなさはいったい何だったんだろうと、いまでも時々思うことがあるのです。 そして大友克洋です。大友克洋をはじめて読んだときも、ちっとも読めなった。こういっては失礼というか語弊があるかもしれませんが、マンガなのにもかかわらず、ちっとも読めなかったのです。ただし、この読めなさには理由があって、すぐにそれに気が付くことができました。わたしは手塚治虫からマンガを読むようになった、これが大きな理由でした。周知のとおり手塚治虫はマンガの祖であり、マンガの描き方/読み方を体系化した人であります。つまり、わたしは、この手塚式のマンガに慣れ親しみすぎていたあまりに、手塚とはまるで異質のマンガ体系を持つ大友を読むことができなかったのです。手塚マンガは記号の集積であり、大友マンガはカメラのレンズであった、この体系の違いを察知してはじめて大友を読めるようになったというわけです。