ひさぴよ1年以上前今日マチ子『セキ☆ララ中学受験』 https://manba.co.jp/boards/19361 あんごろもあちゃんの地球侵略にっき パーフェクト https://manba.co.jp/boards/19705 自由広場学習帳ノートのような表紙デザインの本1わかる
無用ノスケ子1年以上前なかなか見つかりませんが、一つだけ見つけました https://manba.co.jp/boards/19793/books 詩人てるゆき 自由広場学習帳ノートのような表紙デザインの本1わかる
狐優曇華1年以上前バレエ漫画の金字塔であるアラベスクを描いた山岸先生が描いた悲しくも恐ろしいバレエ漫画 めちゃくちゃ怖い恐怖モノもよく描く作者なので、不安や不穏の表現は本当に怖くて、バレエ漫画ではあるのだけど時々すごく怖い。て言うか、1部は怖い・・・ ネタバラシをされる前に全巻読むことをお勧めします。スポコン漫画的な要素もあって熱い展開が好きな人にもおすすめできる。でも1部はメンタルがやられる可能性もあるので、元気な時にテレプシコーラ/舞姫 第1部美しくも残酷なバレエの世界4わかる
狐優曇華1年以上前時代を超えて連載されてきただけあって、アニメ化、映画化、舞台化、のフルコンボ達成した名作。 時代によってテイストが違うのですが、詳しい解説は専門のサイトに任せるとして、全編通じて言えるのは、登場人物のパーソナリティがよく出来ていて読んでて飽きない、ギャグが色褪せない、ちょいちょい差し込まれる感動回が刺さる、ですかね。 100巻前後になると流石に伝統芸能のようになっていきますが、それそれで!パタリロ! (花とゆめコミックス版)言うまでもなく不朽の名作4わかる
あうしぃ@カワイイマンガ1年以上前クチコミ楽しみにしてます!マンバはクチコミで出来ている、とマンバの中の人もおっしゃってたので、大歓迎だと思いますよ! メルヘン作品もそうでないものも、趣味丸出しでいきましょう!自由広場マンバ読書会について語るスレ1わかる
あうしぃ@カワイイマンガ1年以上前はじめましてー、ご視聴ありがとうございました! ほんとに皆さんのプレゼン、それぞれに面白かったですよね!『サブスク彼女』ヘラ顔がインパクト強いw私も皆さんと会うのは初めてだったので、イメージと違って新鮮でした。 これからも機会があればマンバでお話しましょう!クーの世界のクチコミされてましたよね?私も好きです!自由広場マンバ読書会について語るスレ1わかる
pennzou1年以上前本作は『月刊ぶ〜け』(集英社)1985年9月号から87年9月号に連載された。初回掲載号の巻末にある編集室からのコメントで本作は「初の長期連載をめざした本格学園ロマン」と説明されている。ここから学園モノであった前々連載作『月下の一群』の好評(パート2が出るぐらい人気作だったようだ)を受けて企画された連載だと想像できるが、実際『月下の一群』の話数を越える長期連載となった。 それまでの作品で培われた技量や心理描写が存分に発揮された、初期の吉野先生の総決算的作品である。 幼い頃の狩野都は入院生活をしていた兄の目であり足であった。狩野は自分と兄の区別をつけられなかった。兄が亡くなる5歳まで、狩野は少年だった。女子中学生である今も、少年でいたいと願っている。狩野は黄味島陸と出会う。陸は5歳の狩野が少年のまま成長したような姿をしており、狩野は陸に理想の自分を見出す。理想の自分がすでに存在するのなら、現実の自分は存在しなくていい。そう感じた狩野は逃げ出す。陸を殺さないために。 これが序盤のあらすじである。以降は狩野だけでなく陸の内心も明かされ(陸もまた、複雑な内面を持つ少年である)、より広い範囲にリーチするテーマを持つようになる。 自分は少女だったことはない。だから何を言っても的外れになる気がする。ただ現実の自分という存在への疑問というのはきっと誰にだってある一般的なもので、それはいつまでも続くと思っている。すごく雑にいうと、「これ自分じゃなくても代替可能だなー、ならそもそもいなくても大丈夫じゃね?」みたいな感じ。 スペシャルになることがない人、言ってしまえばほとんどの人は、その問いに対する答えを持っていないはずだ。それがどうしたと問いそのものを蹴っ飛ばす、現実に在る自分を認める、ないしは諦めるかしかない。(もっとも、この問いが見えないぐらい他の事柄に追い込まれてるという場合もあるのだけど、それは本作で描かれる領域の外にある別の途方もない問題) (以下は既読者に向けて書いているので、知りたくない人は次の段落まで飛ばしてください) この物語の結末でも、狩野は逃避の果てに現実の自分だけが自分であることを受け入れざるをえなくなる。その表情から晴れやかさは読み取ることは出来ない。得られたのは「書き続けよう」や「書き続けたい」という自発的な意志でなく、「書き続けなければならない」という運命。荒野を冒険して行き着くのも、荒野なのだ。これは狩野よりうんと歳をとった自分の方が重々承知するところだったりする。吉野先生も『瞳子』(小学館、2001年)のあとがきで「年齢を重ねると少しずつ人生の謎は解けていきますが、だからといって不安が無くなるわけではないし、情緒が安定するわけでもありません。」と書いていた。 ではこの物語は、狩野の足跡は、何も意味がないものなのか? 以下はマーガレットコミックス版「少年は荒野をめざす」1巻(集英社、1995年)のカバー折り返しにある吉野先生のコメントの引用である。 「川の向こうで、自分と同じように不器用に、しかし必死に戦っていて、たまに手を振ると手を振り返している。対岸の戦友、『狩野』はそんな少女でした」 狩野は荒野にいる読者のひとりひとりに手を振っている。それが誰かの胸に深く届いて、荒野を行く・耐える力になる。自分はきっとそうあってほしいと願っている。 なお先述した「現実の自分いなくてもいいんじゃないか」問題、これについて答えは出せないと書いたが、実はひとつの解答が終盤でサブキャラクターにより語られている。この答えのやさしさはとても吉野先生らしいと思うし、自分に出来る最大限ってそれだよなと思ったりする。 絵について書くと、吉野先生的ベーシックが一旦の完成をみたのが本作だろう。冷たさを覚えるような、おそろしいほど美しく繊細な絵である。 特筆したいのが本作終盤に顕著なソリッドな線で、緊張感のある物語と合わさり特有の魅力がある。この硬質さは吉野作品ではあまり見られない傾向で、本作の独自性をより高めている。 余談ですけど当時の『ぶ〜け』はぶ〜け作家陣として内田善美先生や水樹和佳先生、松苗あけみ先生がいる上に、総集編にくらもちふさこ先生や一条ゆかり先生が掲載されているみたいな、画力の天井がはちゃめちゃに高い雑誌でした。そういう状況が吉野先生の絵をより研ぎ澄ましていったのでは?と自分は考えています。 本作で描かれる現実の自分/理想の自分といった一対、あるいは閉じた関係・世界は『ジュリエットの卵』や『エキセントリクス』など以降の吉野作品で度々取り上げられたテーマである。特に『ジュリエットの卵』は吉野先生自身がインタビューで「「少年は荒野をめざす」の主人公がわりと女を否定するところから描きはじめたキャラクターだったので、今度は全面的に肯定するところから描いてみよう」(『ぱふ』1990年1月号、雑草社)と語っているように本作での試みの変奏として描かれはじめており、発展的にこのテーマに挑んでいると思う。 他のテーマで見逃せないのが、時が経ち少年から少女・女に収束していく違和感や、女であるゆえに起きる問題への戸惑いや怒りだ。本作では狩野が陸から女として扱われない、しかし他人からは女として扱われてしまう、そのうまくいかなさを際立たせる意味合いが強いからか、切実ではあったが大きくはフィーチャーされていなかったように思う。このテーマは以降の『ジュリエットの卵』や『いたいけな瞳』収録の「ローズ・フレークス」、そしてなんといっても『恋愛的瞬間』……これらの作品で真摯に向き合われることとなった。 つまり、本作は初期作品の総決算であると同時に、以降に描かれるテーマの萌芽を含んだ作品で、吉野先生のキャリアを見通せるマイルストーンである。 個人的には、青少年期を扱ったこの物語自体が完成と未完成が両立する青少年的性質を持つ、この一致が色褪せない理由なんだろうなと思っております。うまく言えませんが……少年は荒野をめざす荒野から荒野へ12わかる
たか1年以上前見つかってよかったです!🥳 正直腐女子の子についてはピンと来てなかったのですが、その頃読んでた個人サイトのオタクコメディ漫画といえばこれだったので。 調べてみたら『となりのA-boy』というタイトルで書籍化もされていたみたいです。思い出せないマンガ2008年頃に個人サイトで公開されていた漫画で、腐女子オタク青春コメディマンガを探しています1わかる
Pom 1年以上前突然の両親の他界で、長男隼人を筆頭に4人兄弟で色んな問題を、乗り越えていく。 隼人、尊、湊、岳、みんな魅力的なキャラなんだけど、私は末弟の岳と親友の虎次郎さんとのやりとりがとっても好きです。 癒される。 自分が、子供の時の感覚も大人から見た感覚も両方感じられたのもよかった。 笑いも交えつつ、ウルッともさせてくれる素敵な家族愛、兄弟愛の話でした。 柚木さんちの四兄弟。素敵な家族愛、兄弟愛、人間愛。2わかる