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窓辺の春
小さな物語で描くもの「窓辺の春」は月刊フラワーズ2019年4月号に掲載された鯖ななこ先生による短編読切作品だ。 鯖先生は現状自著の発行がなく、また作品も月刊ないしは増刊フラワーズにしか掲載されていない。そのため、鯖先生を存じない方が多いと判断し、まず鯖先生の経歴を記す。(間違いがあればご指摘頂けると嬉しいです!) 鯖ななこ先生は月刊フラワーズ2017年8月号にて発表された第90回フラワーズコミックオーディションにて金の花賞(賞の位としては第2位にあたるが、金の花賞以上が出ることはそうそうない)を受賞、受賞作「最適な異性となる要因の主観的考察」が増刊フラワーズの同月号に掲載されデビューした。以降より増刊フラワーズでは短編読切を、月刊フラワーズでは定期購読の販促4コマを執筆されていた。初の連載作品は月刊フラワーズ2018年5月号より開始された「きょうのヤギさん」で、現在も続いている。「きょうのヤギさん」は先述の販促4コマの設定を汲んだ4コマショートで、物語形式の作品が月刊フラワーズ本誌に掲載されたのは2018年10月号の短編読切「おとぎの杜」が初めて。以降、いくつかの短編読切と短期連載作品「Hide&Seek」が発表されている。 この経歴は、例えばデビュー当時の岩本ナオ先生も同様に販促4コマ(「町でうわさの天狗の子」の巻末に収録)や短編読切・短期連載(「スケルトン イン ザ クローゼット」に収録)を執筆しているように、フラワーズ生え抜き作家の定番ルートといえる。ただし、4コマショートとはいえかなり早い時期から連載を任されているパターンは珍しく、ここから編集部から特に期待されている(悪い言い方だと囲い込まれてる)のでは?と察することも出来る。 「窓辺の春」に話を戻す。本作は月刊フラワーズで発表された作品としては2作目となる。自分は前作の「おとぎの杜」で鯖先生の読切をはじめて読み、もしかしてこの人のマンガはすごいのでは……?と思いはじめ、本作でそれが間違いでなかったことを確信した。 鯖先生作品では「主人公が失ったものや隠れていたものに気がつき、見方を変える」ということが多く行われる。その変化がもたらす心地よさが魅力だと思う。本作ではその上で主人公の行動が他のキャラクターに伝播していく様子が描かれており、より風通しのよい作品になっている。 個人的にビビっときたのは、(ややネタバレになるが)おじさんが清潔な身なりで出掛けるシーンがあるのだが、なぜおじさんがその格好をしたのかを、後のたった1コマで表していた点だ。そのほんの小さな、しかしあざやかな手腕に惚れ惚れした。 本作は決してスケールの大きい物語ではない。小さな物語だ。しかしながら、岩本先生などフラワーズの先達が描いてきたように、小さな物語によって表せるものはあり、それがフラワーズらしさを形作る要素のひとつだと考えている。その潮流に鯖先生は乗っていると思う。 絵柄については丸みを帯びた親しみやすい画風であるが、大胆なトーンワークなどグラフィカルな要素も多く含まれており、それが鯖先生らしい画面にしている。 先述の通り、鯖先生単独名義の自著は未だに発行されていない状況である。しかし現在も断続的に短編は掲載されており、直近だと月刊フラワーズ2020年7月号に短編「おしゃべりな人魚」を掲載予定だ。これを除いても、単行本一冊分のストックは十分にある。 ただし、フラワーズ新人の初単行本は、めちゃくちゃハードルが高いのか、それはもう全然出ないのだ。最後に出たのは2017年12月の笠原千鶴先生「ボクんちの幽霊」が最後だったはずで、つまりここ2年以上出ていません。 それでも、初の自著が出版されるのを自分は心より待っています……
小さな物語で描くもの「窓辺の春」は月刊フラワーズ2019年4月号に掲載された鯖ななこ先生による短編読切作品だ。 鯖先生は現状自著の発行がなく、また作品も月刊ないしは増刊フラワーズにしか掲載されていない。そのため、鯖先生を存じない方が多いと判断し、まず鯖先生の経歴を記す。(間違いがあればご指摘頂けると嬉しいです!) 鯖ななこ先生は月刊フラワーズ2017年8月号にて発表された第90回フラワーズコミックオーディションにて金の花賞(賞の位としては第2位にあたるが、金の花賞以上が出ることはそうそうない)を受賞、受賞作「最適な異性となる要因の主観的考察」が増刊フラワーズの同月号に掲載されデビューした。以降より増刊フラワーズでは短編読切を、月刊フラワーズでは定期購読の販促4コマを執筆されていた。初の連載作品は月刊フラワーズ2018年5月号より開始された「きょうのヤギさん」で、現在も続いている。「きょうのヤギさん」は先述の販促4コマの設定を汲んだ4コマショートで、物語形式の作品が月刊フラワーズ本誌に掲載されたのは2018年10月号の短編読切「おとぎの杜」が初めて。以降、いくつかの短編読切と短期連載作品「Hide&Seek」が発表されている。 この経歴は、例えばデビュー当時の岩本ナオ先生も同様に販促4コマ(「町でうわさの天狗の子」の巻末に収録)や短編読切・短期連載(「スケルトン イン ザ クローゼット」に収録)を執筆しているように、フラワーズ生え抜き作家の定番ルートといえる。ただし、4コマショートとはいえかなり早い時期から連載を任されているパターンは珍しく、ここから編集部から特に期待されている(悪い言い方だと囲い込まれてる)のでは?と察することも出来る。 「窓辺の春」に話を戻す。本作は月刊フラワーズで発表された作品としては2作目となる。自分は前作の「おとぎの杜」で鯖先生の読切をはじめて読み、もしかしてこの人のマンガはすごいのでは……?と思いはじめ、本作でそれが間違いでなかったことを確信した。 鯖先生作品では「主人公が失ったものや隠れていたものに気がつき、見方を変える」ということが多く行われる。その変化がもたらす心地よさが魅力だと思う。本作ではその上で主人公の行動が他のキャラクターに伝播していく様子が描かれており、より風通しのよい作品になっている。 個人的にビビっときたのは、(ややネタバレになるが)おじさんが清潔な身なりで出掛けるシーンがあるのだが、なぜおじさんがその格好をしたのかを、後のたった1コマで表していた点だ。そのほんの小さな、しかしあざやかな手腕に惚れ惚れした。 本作は決してスケールの大きい物語ではない。小さな物語だ。しかしながら、岩本先生などフラワーズの先達が描いてきたように、小さな物語によって表せるものはあり、それがフラワーズらしさを形作る要素のひとつだと考えている。その潮流に鯖先生は乗っていると思う。 絵柄については丸みを帯びた親しみやすい画風であるが、大胆なトーンワークなどグラフィカルな要素も多く含まれており、それが鯖先生らしい画面にしている。 先述の通り、鯖先生単独名義の自著は未だに発行されていない状況である。しかし現在も断続的に短編は掲載されており、直近だと月刊フラワーズ2020年7月号に短編「おしゃべりな人魚」を掲載予定だ。これを除いても、単行本一冊分のストックは十分にある。 ただし、フラワーズ新人の初単行本は、めちゃくちゃハードルが高いのか、それはもう全然出ないのだ。最後に出たのは2017年12月の笠原千鶴先生「ボクんちの幽霊」が最後だったはずで、つまりここ2年以上出ていません。 それでも、初の自著が出版されるのを自分は心より待っています……
私の保健室へおいで…
人が持つ、しなやかな強さ『私の保健室へおいで…』は2002年にハヤカワ文庫JAレーベルにて発行された作品集だ。収録作品は81年〜90年作までと年代で見れば幅広いが、版元の紹介文に「スタイリッシュなラヴロマン」と謳われている通り、全作に恋愛要素を含んだ統一感のあるラインナップである。 こう書くと、恋愛最中の高揚感であるとかシャープな駆け引きみたいなのを想像されるかもしれないが、清原先生の作品ではもっと引いた視点から恋愛が描かれる。それが清原なつのシグネイチャーとしか言いようのない個性をマンガに宿している。 清原先生は、思い込みや呪縛などによって凝り固まってしまった心がフッと解きほぐされる瞬間を描く。 そういった人が持つしなやかな強さに触れた時、自分の心も軽やかになった気分になる。 この特色は、恋愛要素を主軸とした本書において特に傾向が強い。清原作品における恋愛は誰かと誰かの交流であり、他者により自己が変化することがあるためだ。それが本書を魅力的なものにしている。「新説 赤い糸の伝説」とか本当に最高…… 本書から清原先生に入門した場合、次に読むのは何がよいだろうか。 発表当時のコミックスは絶版であるが、近年に月刊フラワーズでポツポツと発表されている作品を除けば、ほぼ全作品が文庫などで網羅されている。(電子書籍化も文庫については殆ど為されている状況) そのゆえ間口がとても広いので、コレという名前を挙げるのは難しい。各々の関心領域と描かれている題材がマッチしている作品が適していると考える。 本書から遠くないニュアンスのものを読みたいのなら『春の微熱』、もしSFが好きであるなら『アレックス・タイムトラベル』、歴史物であれば『飛鳥昔語り』、性に纏わる領域に関心があるなら『花図鑑』あたりだろうか。これらをまとめた清原先生の総体と向き合うのなら自選傑作集『桜の森の満開の下』。清原先生が生み出した発明的キャラクター・花岡ちゃんが活躍する『花岡ちゃんの夏休み』もいい。 ちなみに、マイベスト清原なつの作品は『春の微熱』収録「群青の日々」です。
人が持つ、しなやかな強さ『私の保健室へおいで…』は2002年にハヤカワ文庫JAレーベルにて発行された作品集だ。収録作品は81年〜90年作までと年代で見れば幅広いが、版元の紹介文に「スタイリッシュなラヴロマン」と謳われている通り、全作に恋愛要素を含んだ統一感のあるラインナップである。 こう書くと、恋愛最中の高揚感であるとかシャープな駆け引きみたいなのを想像されるかもしれないが、清原先生の作品ではもっと引いた視点から恋愛が描かれる。それが清原なつのシグネイチャーとしか言いようのない個性をマンガに宿している。 清原先生は、思い込みや呪縛などによって凝り固まってしまった心がフッと解きほぐされる瞬間を描く。 そういった人が持つしなやかな強さに触れた時、自分の心も軽やかになった気分になる。 この特色は、恋愛要素を主軸とした本書において特に傾向が強い。清原作品における恋愛は誰かと誰かの交流であり、他者により自己が変化することがあるためだ。それが本書を魅力的なものにしている。「新説 赤い糸の伝説」とか本当に最高…… 本書から清原先生に入門した場合、次に読むのは何がよいだろうか。 発表当時のコミックスは絶版であるが、近年に月刊フラワーズでポツポツと発表されている作品を除けば、ほぼ全作品が文庫などで網羅されている。(電子書籍化も文庫については殆ど為されている状況) そのゆえ間口がとても広いので、コレという名前を挙げるのは難しい。各々の関心領域と描かれている題材がマッチしている作品が適していると考える。 本書から遠くないニュアンスのものを読みたいのなら『春の微熱』、もしSFが好きであるなら『アレックス・タイムトラベル』、歴史物であれば『飛鳥昔語り』、性に纏わる領域に関心があるなら『花図鑑』あたりだろうか。これらをまとめた清原先生の総体と向き合うのなら自選傑作集『桜の森の満開の下』。清原先生が生み出した発明的キャラクター・花岡ちゃんが活躍する『花岡ちゃんの夏休み』もいい。 ちなみに、マイベスト清原なつの作品は『春の微熱』収録「群青の日々」です。
ニューヨーク・ニューヨーク
愛してるとその先本作は1995年~1998年に花とゆめにて掲載された。話数単位とは別の章立てにより5つのエピソードに分かれている。それぞれのエピソードの概要は、Episode I:ケインとメルが出会い強固な絆で結ばれるまで、Episode II:ケインの両親へのカムアウト、Episode III:ケインとメルの結婚、Episode IV:メルをさらったシリアル・キラーをケインが捜すサスペンス、Episode V:養女を迎えた二人の生涯となっている。このように、物語は二人がまず結ばれるまで(Episode I)よりもそれ以降の長い時間(Episode II~V)を描いている。ここに絆がより強固になっていく様を描こうとする作者の意図が見えるし、それは成功していると考える。 ゲイであることとそれにより生じる苦難は本作の大きなテーマだが、異なる理由で生じる問題もある。例えばケインの言動が無遠慮で本当にひどい時がたまにあり、それゆえに起きる問題もある。このキャラクターの性格・行動にいいところもそれはどうかと思ってしまうようなところがあるのも本作の特徴だ。一人の人間が持つ複数の面が描かれている点は本作の射程の広さになっている。 射程の広さでいえば、ケイン・メルを取り巻く人物はそれぞれ異なる考え方を持っており、その人間模様や変化も魅力である。特にEpisode IIで描かれるケインの両親との物語は本作のハイライトだろう。大きくは扱われないが、Episode IIIで描かれるゴーシュの件も気を引き締められる。 Episode IVでメルがさらわれるのはメルがゲイであるから起きた問題ではない。さらに言えばシリアル・キラーを追う展開であり、この要素だけを見ると別の物語のようだが、犯人とメルとの相似やケインとメルが試練の中で互いを想うことは物語をより強いものにしている。また、スリリングな場面・描写もあり別の読み口が楽しめる点も良い。 先に述べた通り、本作は90年代中~後に描かれている。そのため、これは当たり前なことなので野暮を承知で書くが、当時は先鋭あるいは常識的なことだったのだろうが現在では古いように感じられる部分も散見される。古く感じられるのは昔より進んでいる証左であり、良いことだと思う。しかしながら、同時にそれは「自分はそういった思想・文化のアップデートをちゃんとキャッチアップして血肉にできているのか?今後もできるのか?」という自問を発生させるわけで……その、かっこよく生きたいものですねと思うばかりです。
愛してるとその先本作は1995年~1998年に花とゆめにて掲載された。話数単位とは別の章立てにより5つのエピソードに分かれている。それぞれのエピソードの概要は、Episode I:ケインとメルが出会い強固な絆で結ばれるまで、Episode II:ケインの両親へのカムアウト、Episode III:ケインとメルの結婚、Episode IV:メルをさらったシリアル・キラーをケインが捜すサスペンス、Episode V:養女を迎えた二人の生涯となっている。このように、物語は二人がまず結ばれるまで(Episode I)よりもそれ以降の長い時間(Episode II~V)を描いている。ここに絆がより強固になっていく様を描こうとする作者の意図が見えるし、それは成功していると考える。 ゲイであることとそれにより生じる苦難は本作の大きなテーマだが、異なる理由で生じる問題もある。例えばケインの言動が無遠慮で本当にひどい時がたまにあり、それゆえに起きる問題もある。このキャラクターの性格・行動にいいところもそれはどうかと思ってしまうようなところがあるのも本作の特徴だ。一人の人間が持つ複数の面が描かれている点は本作の射程の広さになっている。 射程の広さでいえば、ケイン・メルを取り巻く人物はそれぞれ異なる考え方を持っており、その人間模様や変化も魅力である。特にEpisode IIで描かれるケインの両親との物語は本作のハイライトだろう。大きくは扱われないが、Episode IIIで描かれるゴーシュの件も気を引き締められる。 Episode IVでメルがさらわれるのはメルがゲイであるから起きた問題ではない。さらに言えばシリアル・キラーを追う展開であり、この要素だけを見ると別の物語のようだが、犯人とメルとの相似やケインとメルが試練の中で互いを想うことは物語をより強いものにしている。また、スリリングな場面・描写もあり別の読み口が楽しめる点も良い。 先に述べた通り、本作は90年代中~後に描かれている。そのため、これは当たり前なことなので野暮を承知で書くが、当時は先鋭あるいは常識的なことだったのだろうが現在では古いように感じられる部分も散見される。古く感じられるのは昔より進んでいる証左であり、良いことだと思う。しかしながら、同時にそれは「自分はそういった思想・文化のアップデートをちゃんとキャッチアップして血肉にできているのか?今後もできるのか?」という自問を発生させるわけで……その、かっこよく生きたいものですねと思うばかりです。
五番街を歩こう
「歩こう」の心地よさ単行本タイトルはシリーズ名であり、このシリーズは1987年に週刊マーガレットにて掲載された。シリーズはそれぞれ「金魚草のこころ」、「紫陽花の陰に猫はいる」、「カルミア」というサブタイトルが充てられた3話から成る。単行本には短編「月夜のつばめ」(1988年発表)も収録されている。ここでは「五番街を歩こう」シリーズについてのみ記す。 岩館作品を熱心に読めていないため見当違いかもしれないが、シリーズ3話全てに結婚という概念が登場するのが本作の特徴だ。結婚する・しない、結婚後の行き違い、別れた後が物語の要素になっている。それは直接的にあるいは形を変えて登場人物の心に陰を落としているが、物語の最後には解決をみる。この解決は風が通ったような心地よさをもたらし、どこか楽になれた気がしてくる。また、登場人物の悩む内容には読者にとってもわかりポイント(現時点でそう思っているでもよいし、もし登場人物と同じ立場だったら確かにそう思うだろうなーでも構わない)があり、それも心地よさに作用している。 五番街という地名はおそらくニューヨークの五番街(Fifth Avenue)からとったネーミング。ネタ元の街並み通り、作中の街も当時の都会的なビル街となっているが、たまに出てくる庶民的なアイテム(ちくわとか……)やあんまりかわいくない猫にくすりとさせられたりもする。これらの要素は突き詰めると矛盾しているように思えるが、あまり世界設定にはこだわるなということだろう。こだわらない分、物語に集中できる効果もあるかもしれない。 岩館作品に共通しているあまりにも繊細で美しい絵も大きな魅力だが、たまにあるコメディチックな表情付けや演技もほっと一息つけて良い。 前述の通り、本シリーズは結婚という概念の存在感が大きい。つまり、所謂大人の世界を描いている。それが週刊マーガレットに掲載されていたと考えると驚いてしまうが、「五番街を歩こう」~「月夜のつばめ」以降は週マでの作品掲載がないことから、岩館先生の描きたいものが変化していっていると捉えることもでき (作品世界と混同するのは良くないが、3話の終盤の台詞にそのニュアンスを感じる)、そういった意味では過渡期の作品であるかもしれない。前後の作品を読み、その変遷について考えるのもいいだろう。自分はそうしてみようと思います。
「歩こう」の心地よさ単行本タイトルはシリーズ名であり、このシリーズは1987年に週刊マーガレットにて掲載された。シリーズはそれぞれ「金魚草のこころ」、「紫陽花の陰に猫はいる」、「カルミア」というサブタイトルが充てられた3話から成る。単行本には短編「月夜のつばめ」(1988年発表)も収録されている。ここでは「五番街を歩こう」シリーズについてのみ記す。 岩館作品を熱心に読めていないため見当違いかもしれないが、シリーズ3話全てに結婚という概念が登場するのが本作の特徴だ。結婚する・しない、結婚後の行き違い、別れた後が物語の要素になっている。それは直接的にあるいは形を変えて登場人物の心に陰を落としているが、物語の最後には解決をみる。この解決は風が通ったような心地よさをもたらし、どこか楽になれた気がしてくる。また、登場人物の悩む内容には読者にとってもわかりポイント(現時点でそう思っているでもよいし、もし登場人物と同じ立場だったら確かにそう思うだろうなーでも構わない)があり、それも心地よさに作用している。 五番街という地名はおそらくニューヨークの五番街(Fifth Avenue)からとったネーミング。ネタ元の街並み通り、作中の街も当時の都会的なビル街となっているが、たまに出てくる庶民的なアイテム(ちくわとか……)やあんまりかわいくない猫にくすりとさせられたりもする。これらの要素は突き詰めると矛盾しているように思えるが、あまり世界設定にはこだわるなということだろう。こだわらない分、物語に集中できる効果もあるかもしれない。 岩館作品に共通しているあまりにも繊細で美しい絵も大きな魅力だが、たまにあるコメディチックな表情付けや演技もほっと一息つけて良い。 前述の通り、本シリーズは結婚という概念の存在感が大きい。つまり、所謂大人の世界を描いている。それが週刊マーガレットに掲載されていたと考えると驚いてしまうが、「五番街を歩こう」~「月夜のつばめ」以降は週マでの作品掲載がないことから、岩館先生の描きたいものが変化していっていると捉えることもでき (作品世界と混同するのは良くないが、3話の終盤の台詞にそのニュアンスを感じる)、そういった意味では過渡期の作品であるかもしれない。前後の作品を読み、その変遷について考えるのもいいだろう。自分はそうしてみようと思います。