あらすじ

寿永2年(1183年)7月、倶梨迦羅谷(くりからだに)で平家に大勝した木曾義仲は京に入る。後白河法皇に謁見した義仲は、従五位左馬頭(じゅごいさまのかみ)に叙され、朝日の将軍の称号を与えられる。しかし、京に入った木曾軍の雑兵達は略奪を始め、見かねた後白河法皇は、第82代後鳥羽天皇を擁立し、安徳天皇を抱える平家追討を義仲に命じる。一方、平家は太宰府落ちを余儀なくされながらも、長門国(ながとのくに、山口県)、新中納言知盛(しんちゅうなごんとものり)の協力のもと反攻の機会をうかがっていた。山陽道8ヵ国、南海道6ヵ国を討ちとった平家は、次第に勢力を取り戻し、天下は都の義仲、東の頼朝、西の平家と大きく3つの勢力に分かれた。一の谷の合戦、屋島の合戦、そして平家滅亡までを巨匠・横山光輝が描く!!
平家物語(上)

巨匠・横山光輝が、無常観を主題に平家一門の栄枯盛衰を描いた軍記物語の最高傑作に挑む!!400年間にわたる藤原貴族政治が続くなか、武士は地下人(じげにん)と呼ばれ、わずかな領地をもらい貧しい生活を送る貴族の番犬的な存在であった。そんな時代にあって、武士であった平清盛(たいらの・きよもり)は、保元の乱で後白河天皇(ごしらかわてんのう)に味方して戦果を挙げ、太宰大弐(だざいのだいに、太宰府次官)に昇進した。その後、平治の乱を治めた清盛は、源氏を壊滅状態に追い込み、その功績で中納言、大納言と出世し、ついに太政大臣従一位(だじょうだいじんじゅいちい)となり位を極めた。我が世の春を謳歌する清盛と平家の繁栄、そして平家と貴族との確執を描いた上巻。

平家物語(中)

治承4年(1180年)、以仁親王(もちひとしんのう)は平家追討の令旨(りょうじ)を諸国の源氏に発するが、平家はいち早くその情報を知る。平等院に立て籠もった以仁親王を、源三位入道頼政(げんざんみにゅうどうよりまさ)は自らを犠牲にして落ちのびさせるが、奈良に向かう途中で討ち取られてしまう。清盛は、京を捨て福原(神戸)への遷都を決め、平家の体制を固める。そのころ、伊豆に流されていた源頼朝が、北条時政らと挙兵し、平家に叛旗を翻す。清盛は、平重森(たいらのしげもり)の嫡男・小松権亮少将維盛(こまつごんのすけしょうしょうこれもり)を総大将として頼朝追討に向かわせるが……。平家一門の衰退を描いた中巻。

平家物語(下)

寿永2年(1183年)7月、倶梨迦羅谷(くりからだに)で平家に大勝した木曾義仲は京に入る。後白河法皇に謁見した義仲は、従五位左馬頭(じゅごいさまのかみ)に叙され、朝日の将軍の称号を与えられる。しかし、京に入った木曾軍の雑兵達は略奪を始め、見かねた後白河法皇は、第82代後鳥羽天皇を擁立し、安徳天皇を抱える平家追討を義仲に命じる。一方、平家は太宰府落ちを余儀なくされながらも、長門国(ながとのくに、山口県)、新中納言知盛(しんちゅうなごんとものり)の協力のもと反攻の機会をうかがっていた。山陽道8ヵ国、南海道6ヵ国を討ちとった平家は、次第に勢力を取り戻し、天下は都の義仲、東の頼朝、西の平家と大きく3つの勢力に分かれた。一の谷の合戦、屋島の合戦、そして平家滅亡までを巨匠・横山光輝が描く!!