北条氏による執権政治が全盛期を迎えた頃の鎌倉は、幕府内部の権力闘争による政治面の不安定や全国の天変地夭(てんぺんちよう)、飢饉疫病(ききんえきびょう)の発生などにより、民衆の心の深層部には暗く沈んだ霧が漂っていた。そうした民衆の心と呼応するかのように、京の公家仏教(旧仏教)に対して新仏教が芽吹き、社会のあらゆる面に根深く浸透していた。なかでも“南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)”を布教していた日蓮(にちれん)は、天下の大仏法を敵にまわし幕府から警戒される存在となる。病に倒れた北条親時(ほうじょう・ちかとき)に医術を施した四条金吾(しじょう・きんご)は、木漏れ日の中、謎の僧と出会い……。日蓮に帰依し、鎌倉における信徒の中心となっていった四条金吾の半生を漫画化。
日本からの留学僧、栄叡と普照は授戒の師を求めて唐に渡り、唐の高僧、授戒の大師と仰がれる鑑真和尚に出会い、日本への渡航を要請した。留学僧の命がけの招請に、鑑真和尚は日本へ渡ることを決意する。だが、唐の役人たちの反対にあって数度の渡航計画は失敗に終わった。初志を貫き、ついに密航を企てた鑑真は、決意を新たに渡日に命をかけた。この鑑真の熱き思いは日本仏教の柱として今もなお残されている。
シュダツ長者が寄進した祇園精舎は仏教の一大拠点となる。そこを舞台に繰り広げられたさまざまなドラマを再現。
538年の仏教伝来に伴い、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏とは激しく対立した。戦いは蘇我氏が覇を握るが、聖徳太子はそのような権力争いの中で摂政となり、みほとけの教えを礎に次々と大改革を行って日本を律令国家へと導いていく。しかし、その胸中には現実に対する厳しい洞察とみほとけの世界への憧憬が激しく彼をかりたてた。動乱の歴史を生きた太子の心のドラマをここに復古す。
熱原下方(あつはらしもかた)の庄の名主・神四郎(じんしろう)は、年貢米を出せない一家が心中したり、赤ん坊が間引きで殺されてしまう現実を憂いていた。そして、その一方で滝泉寺(りゅうせんじ)の僧達が、夜ごと酒を飲み、遊び女(あそびめ)達とたわむれる姿にも……。仏の教えに疑問を持ちはじめた神四郎の前に、青年僧・日秀(にっしゅう)が現れる。日蓮(にちれん)の弟子・日興(にっこう)に仏法の正義を説かれ、法華経に帰依する決意を固めた日秀は、滝泉寺を追放されたものの、いきいきと遊説していた。そんな日秀の姿を見て、神四郎は法華宗に興味を持ちはじめるのだが……。