ザシス
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座視していた大多数の人の中でも和真は少しでも自分に寄り添ってくれた人なのだから、殺すのは道理が通らない。作品の影響としても、「心配して声をかけて寄り添うよりは、何もせずに座視していたほうが恨まれない」と読者に思わせてしまうから、あまり良くない。遥人が和真を「偽善者」と呼ぶだけの何かが裏にあったのではないか。ここで、「遥人へのいじめがある日突然始まったこと」があらためて引っ掛かってくる。たとえば、「和真は、一度は児玉たちから自分に向けられたいじめの矛先を、遥人に向け直すような交渉をした」とか(小説ではただ和真の「座視」だけを責めているから違うのかもしれないけど…)。 和真が「次は自分かもしれない」と感じていたのも気になる。鈴木や川瀬がそうであったように、いじめ(座視を含む)に罪悪感がない限り、「誰がなんのために、自分にこんなことをするのか」は想像もできない。しかし、重松がそうであったように、鈴木と川瀬が殺されたのを見れば、かつてのいじめの当事者は「次は自分かもしれない」と恐れざるを得ない。一方で晋太郎がそうであるように、座視していただけの人は「次は自分かもしれない」とは恐れない。このような中、和真は「次は自分かもしれない」と恐れて警戒していた。このことは、和真が「俺は、単に座視していただけではなかった(児玉たちによる遥人へのいじめの開始に、何らかの形で関与していた)」という自覚があることを示しているようにも思える。 一方で、晋太郎と異なり、和真は「鈴木と川瀬の殺害は、遥人がやっているのでは」とはまったく思っていない。なぜか(遥人ではなく)「山内たちではないか」と感じていた。さらにその後に重松までもが死に、いよいよ「かつてのいじめへの復讐であること」がほぼ確定し、自らが捕まって地下室に連れていかれたが、それでもなお、自分に危害を加えようとしている相手を遥人ではないと思っていることから、「遥人は和真が死んでいることを知っている」ように思える。 遥人は実は2回死んだ(1回目は死にかけ)ということはないだろうか。山内に轢かれて埋められたが、何らかの通常の方法で(たとえば、山内の記憶にないだけで、実は山内が掘り返したとかで)なんとか蘇生できたが、そのあとなんらかの理由で和真に本当に殺されてふたたび埋められた…とか。そして、今度は超自然的な方法で蘇り、いよいよ復讐を開始したとか。
@名無し

逆だった。「遥人は和真が死んでいることを知っている」じゃなくて、「和真は遥人が死んでいることを知っている」だ。

まじで頭悪い人
座視していた大多数の人の中でも和真は少しでも自分に寄り添ってくれた人なのだから、殺すのは道理が通らない。作品の影響としても、「心配して声をかけて寄り添うよりは、何もせずに座視していたほうが恨まれない」と読者に思わせてしまうから、あまり良くない。遥人が和真を「偽善者」と呼ぶだけの何かが裏にあったのではないか。ここで、「遥人へのいじめがある日突然始まったこと」があらためて引っ掛かってくる。たとえば、「和真は、一度は児玉たちから自分に向けられたいじめの矛先を、遥人に向け直すような交渉をした」とか(小説ではただ和真の「座視」だけを責めているから違うのかもしれないけど…)。 和真が「次は自分かもしれない」と感じていたのも気になる。鈴木や川瀬がそうであったように、いじめ(座視を含む)に罪悪感がない限り、「誰がなんのために、自分にこんなことをするのか」は想像もできない。しかし、重松がそうであったように、鈴木と川瀬が殺されたのを見れば、かつてのいじめの当事者は「次は自分かもしれない」と恐れざるを得ない。一方で晋太郎がそうであるように、座視していただけの人は「次は自分かもしれない」とは恐れない。このような中、和真は「次は自分かもしれない」と恐れて警戒していた。このことは、和真が「俺は、単に座視していただけではなかった(児玉たちによる遥人へのいじめの開始に、何らかの形で関与していた)」という自覚があることを示しているようにも思える。 一方で、晋太郎と異なり、和真は「鈴木と川瀬の殺害は、遥人がやっているのでは」とはまったく思っていない。なぜか(遥人ではなく)「山内たちではないか」と感じていた。さらにその後に重松までもが死に、いよいよ「かつてのいじめへの復讐であること」がほぼ確定し、自らが捕まって地下室に連れていかれたが、それでもなお、自分に危害を加えようとしている相手を遥人ではないと思っていることから、「遥人は和真が死んでいることを知っている」ように思える。 遥人は実は2回死んだ(1回目は死にかけ)ということはないだろうか。山内に轢かれて埋められたが、何らかの通常の方法で(たとえば、山内の記憶にないだけで、実は山内が掘り返したとかで)なんとか蘇生できたが、そのあとなんらかの理由で和真に本当に殺されてふたたび埋められた…とか。そして、今度は超自然的な方法で蘇り、いよいよ復讐を開始したとか。
@名無し

殺す道理はないですね。和真は殺すふりをされただけで殺されてないので、エサ的な役割かも。
5人目ネクタイ、6人目女遥人(の心を殺すため山内を殺す?)とかいう展開を妄想してます。

座視していた大多数の人の中でも和真は少しでも自分に寄り添ってくれた人なのだから、殺すのは道理が通らない。作品の影響としても、「心配して声をかけて寄り添うよりは、何もせずに座視していたほうが恨まれない」と読者に思わせてしまうから、あまり良くない。遥人が和真を「偽善者」と呼ぶだけの何かが裏にあったのではないか。ここで、「遥人へのいじめがある日突然始まったこと」があらためて引っ掛かってくる。たとえば、「和真は、一度は児玉たちから自分に向けられたいじめの矛先を、遥人に向け直すような交渉をした」とか(小説ではただ和真の「座視」だけを責めているから違うのかもしれないけど…)。 和真が「次は自分かもしれない」と感じていたのも気になる。鈴木や川瀬がそうであったように、いじめ(座視を含む)に罪悪感がない限り、「誰がなんのために、自分にこんなことをするのか」は想像もできない。しかし、重松がそうであったように、鈴木と川瀬が殺されたのを見れば、かつてのいじめの当事者は「次は自分かもしれない」と恐れざるを得ない。一方で晋太郎がそうであるように、座視していただけの人は「次は自分かもしれない」とは恐れない。このような中、和真は「次は自分かもしれない」と恐れて警戒していた。このことは、和真が「俺は、単に座視していただけではなかった(児玉たちによる遥人へのいじめの開始に、何らかの形で関与していた)」という自覚があることを示しているようにも思える。 一方で、晋太郎と異なり、和真は「鈴木と川瀬の殺害は、遥人がやっているのでは」とはまったく思っていない。なぜか(遥人ではなく)「山内たちではないか」と感じていた。さらにその後に重松までもが死に、いよいよ「かつてのいじめへの復讐であること」がほぼ確定し、自らが捕まって地下室に連れていかれたが、それでもなお、自分に危害を加えようとしている相手を遥人ではないと思っていることから、「遥人は和真が死んでいることを知っている」ように思える。 遥人は実は2回死んだ(1回目は死にかけ)ということはないだろうか。山内に轢かれて埋められたが、何らかの通常の方法で(たとえば、山内の記憶にないだけで、実は山内が掘り返したとかで)なんとか蘇生できたが、そのあとなんらかの理由で和真に本当に殺されてふたたび埋められた…とか。そして、今度は超自然的な方法で蘇り、いよいよ復讐を開始したとか。
@名無し

ホラー路線、あるかねぇ。

ホラー路線がないなら、あんなにホラー描写する必要ないと思う。遥人の腐りかけた手は、扉絵にすらなっている。もしあれらが山内の妄想に過ぎないとしても、その山内の妄想が種明かしの軸となるような結末になる(単なる妄想として何の説明もないまま終わることはない)…はず。

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ザシスの意味とは
ザシス 森田まさのり
六文銭
六文銭
「ろくでなしBLUES」から「べしゃり暮らし」まで、一通り読んでいる作家さんだけに本作も当然手に取りました。 1話読んで、サスペンスであること、その世界観にひきこまれ これは完結してからイッキに読もう と思い、完結を楽しみにしてましたが(変な話ではありますが)まさか3巻でおわってしまうとは。 一気読みした最初の感想としては、ギャク色の強い作風の作家さんなのに、この手のストーリーもイケるのかと唸った。 誰が犯人なのかはもちろん、主要な登場人物の誰もが、実は後ろ暗い過去をもっているびっくり展開は、良い意味で緊張感があって、最後どう転ぶのか気になり読んでてあっという間だった。 ミステリでありがちな、くどい説明とかもなく、絵だけで魅せてくるのも読みやすかったし、不気味なタイトルが結局何なのか気になりながら最後につながるのも良かった。 総じて、面白かったという月並の感想なんだけど、3巻でキレイにまとまっている作品だと思います。 この手の作品で、個人的に重要だと思っている、読者に結論を委ねる部分もしっかりあって、そういう意味でも読後感は良かったてす。 3巻完結なので、イッキに読んでザシスの意味を噛み締めて欲しい。
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