藝大受験に落ちた私が古傷の痛みに耐えながらブルーピリオドを読むにコメントする

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hysysk
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1年以上前
祝アニメ化!ということで藝大受験の倍率も上がっちゃったりするのかなと思い、フラッシュバックしてくる自分の経験談に絡めてブルーピリオドの感想を書いてみます。何を隠そう私は3回藝大を受験し、毎回2次試験まで進みながら落ちたという苦い経験を持っています。藝大受験に人生を振り回される人の話は『北の土竜』にも出てくるので、かつて藝大がどう見られていたか興味がある人はそちらも読んでみてください。 以下思いっきりネタバレを含むので、気にする人はここで読むのを止めた方がいいです。 私は地元が関西で、普通科の進学校に通っていたのですが、特に大学で学びたいこともなく、2年次のコース振り分けで「理系の方が潰しが効くから、やりたいことが決まってないなら理系にしときなさい」といわれて理系コースに進みました。とはいえ理系科目は得意でも好きでもなく、そのまま理系の道に進むことに全く乗り気ではありませんでした。成績もそれほど良くなかったので、いけそうな大学で探してもモチベーションは上がらないし、かといってやりたいこともないのに頑張って難関大学に入るという気力も湧きません。 高校時代はバンドを組んだりギターを習ったりしていたこともあって、漠然と音楽に関わる道ならいいかなと思い、進路指導で先生に教えてもらった芸術工学系の大学をとりあえずの第一志望にして受験勉強をしていたのですが、やはり踏ん張りがきかずセンター試験(いまの大学入学共通テスト)で合格圏内の点数が取れませんでした。 困ったなぁと思いながらセンター試験での得点から合格率順に大学を探せるウェブサイトを見ていると、東京藝術大学の先端芸術表現科というコースが、合格率90%以上と出ているのを見つけました。美術の選択授業すら取らなかった自分でも知っている有名大学しかも国立というところで心が踊ります(ここがまず駄目)。そしてさらに、この先端芸術表現科は新しくできた学科で実技試験がなく(現在はあるようです)、小論文と「個人資料ファイル(=いわゆるポートフォリオで、作品や活動の記録。株の組み合わせではない)」で選考され、既存の美術の形式に囚われないことを目指し理系と文系の区別もない。美術学部だけど音楽も勉強できる。都会に出られる。これは自分のためにある学科だ!となって志望校を東京藝術大学に変更します。 私の高校には美大受験をする人は年に5人もおらず、ゆえに指導する先生もいないという問題がありました。唯一の頼みが美術の先生でしたが、特に受験対策らしい受験対策もなく、ただひたすら小論文に向けて美術史の本や論文などを貸してもらい、議論をしていました(これはこれで役に立ちました)。しかし個人資料ファイルというものが自分も先生も分からず、どうしたものかと思いながら小学校とか中学校で賞を獲った記録などを載せていました。 そう、ブルーピリオドを読んでいれば速攻で予備校に行くべきだと気づけるところです。いやどうだろう、試験日まで1~2ヵ月しかないため断られるか、周りとのレベルの違いに圧倒されて受験自体を諦めていたかもしれません。そもそも藝大狙いで美術予備校に行くなら県外に通う必要もありました。 しかしとにかく八虎と同様、知らない強みで後から考えれば無謀とも思える受験をし、1次試験に合格します。うおおやっぱり自分には芸術の才能がある!東京が俺を呼んでいる(先端芸術表現科は茨城県の取手市にあります)! 2次試験の面接で、この時は川俣正教授がいらっしゃったと思います。当時は全くどんな人かも知らず、何を話したかも覚えていません。「君はどうなっていきたいの?」みたいなことを聞かれたような気もします。藝大の試験日は遅く、合格発表も遅いので、確か卒業式も終わった後に発表を見に行ったと記憶しています。結果は不合格。校門の前で各予備校がパンフレットを配っていましたが、何となく1冊だけ受け取ったところで浪人生活を過ごすことになります。 当時の先端芸術表現科は新しかったので、予備校もそれほど対策ができていなかったこともあり(それこそが大学側の狙いでしょう)、他の大学の近い学科を目指すのが中心のコースに入りました。そこで初めて美大受験で絵を描く時の鉛筆の削り方を知り、インスタレーション(八虎は大学入るまで知らなかった)などを知ります。 講評で上段に上がることは全くありませんでしたが、自分は目指すところが違うし、そもそも初心者なのだから仕方がないと思っていました。学科は常に1位だったし、小論文の授業では絶賛されていたので、このままでいいだろうと。東京は刺激的だし、先生も面白いし、同級生とも趣味が合うので、全く悲壮感はありませんでした。高校時代とは違って理系科目の勉強はほとんどせず3教科に絞り、あとはずっと本や展示で音楽や美術の知識を蓄積していたように思います。「作品を作る」という一番重要なことが抜けたまま。。それ故に8巻で八虎が言われた「『作品』を作ったことがないんだね~」というのは二十年の時を経てグサッとくる台詞でした。今も胸を張って『作品』を作ったかと問われるとかなり怪しい。 美大受験において難しいのはここに尽きて、結局実技ができないといけないということです(学びたいのが美術史やアートマネジメントであっても)。そして実技が「できる」とはどういうことか、高校で美術科にでも通ってない限りは予備校に行かないと誰も教えてくれない。ロボットを作ったことがなくても工学部に入れるし、手術をしたことがなくても医学部には入れます。これは他の学部や学科に比べて美大・芸大が優れているという話ではなく、そもそもの評価基準、体系が違うということです。少し前に藝大建築科を除籍になった方の記事が話題になりましたが、彼も彼を評価する人も一般的な大学や学校の枠組みで考え過ぎです。藝大が持て余したのでもなく、単純に質が低かったのだと思います(例えば先ほど挙げた川俣さんはもっとスケールの大きなことを実現しているので調べてみてください)。頭が良いくらいでは美術界を覆すのは難しいです。 ちなみに9巻で世田介が受かったのは「学科の成績が一番良かったから」という都市伝説が出てきますが、私たちが受験した時もそういう話はありました。特に先端芸術表現科のような領域横断的な学科では、キャラ被りしないように色んな分野から選ばれるという噂でした。つまり自分の場合、2次までいけたのは学科の要素が強く、落ちたのは自分より学科ができた人がいたとか、ポートフォリオや面接が酷過ぎたということで大体納得がいきます。「本当にすごい人は大学に通う意味がないので落とす」というのもありましたが、私ではないですね。 そんな感じで1浪目も2次まで進み、個人資料ファイルの意味も理解し、面接対策もし、若干の奇行に走って2ちゃんねるで言及されたりしましたが、またしても不合格。同じ予備校の現役合格者のセンター試験の得点は3割でしたが、今も立派に作家活動をされています。2浪目は予備校のコースも論文指導だけに変え、あんまり行かなくなってしまったので特に言うことはありません(駄目過ぎ)が、今度も2次で不合格、その前に受かっていた学校に入りました。 それぞれの悩みや台詞やシチュエーションが一度は実際に体験したことがあるようなことで、予備校講師も教授も同級生も先輩も後輩も親も美術を知らない友達も「こういうこと言うよな〜」のリアリティが高く(『君とガッタメラータ!』とか『A子さんの恋人』も再現度高い)、ドキッとして読む手が止まることもしばしばだけど、今更どうしようもない年齢になった(あんな風に怒られることもない)し、ある意味でこれを理解できるのは美大受験を経験したからとも言えるでしょう。ここまで自分は頑張ってなかったなと反省する気持ちもありますが、受験に関しては結果的にどの大学に行くことになっても(行かないという選択をしても)、手を動かして作品を作るのは結局自分なので、ただただ数千年続く美術という世界(美術業界でなく)に向き合うことが大事だなと思いながら読んでいます。

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1年以上前
祝アニメ化!ということで藝大受験の倍率も上がっちゃったりするのかなと思い、フラッシュバックしてくる自分の経験談に絡めてブルーピリオドの感想を書いてみます。何を隠そう私は3回藝大を受験し、毎回2次試験まで進みながら落ちたという苦い経験を持っています。藝大受験に人生を振り回される人の話は『北の土竜』にも出てくるので、かつて藝大がどう見られていたか興味がある人はそちらも読んでみてください。 以下思いっきりネタバレを含むので、気にする人はここで読むのを止めた方がいいです。 私は地元が関西で、普通科の進学校に通っていたのですが、特に大学で学びたいこともなく、2年次のコース振り分けで「理系の方が潰しが効くから、やりたいことが決まってないなら理系にしときなさい」といわれて理系コースに進みました。とはいえ理系科目は得意でも好きでもなく、そのまま理系の道に進むことに全く乗り気ではありませんでした。成績もそれほど良くなかったので、いけそうな大学で探してもモチベーションは上がらないし、かといってやりたいこともないのに頑張って難関大学に入るという気力も湧きません。 高校時代はバンドを組んだりギターを習ったりしていたこともあって、漠然と音楽に関わる道ならいいかなと思い、進路指導で先生に教えてもらった芸術工学系の大学をとりあえずの第一志望にして受験勉強をしていたのですが、やはり踏ん張りがきかずセンター試験(いまの大学入学共通テスト)で合格圏内の点数が取れませんでした。 困ったなぁと思いながらセンター試験での得点から合格率順に大学を探せるウェブサイトを見ていると、東京藝術大学の先端芸術表現科というコースが、合格率90%以上と出ているのを見つけました。美術の選択授業すら取らなかった自分でも知っている有名大学しかも国立というところで心が踊ります(ここがまず駄目)。そしてさらに、この先端芸術表現科は新しくできた学科で実技試験がなく(現在はあるようです)、小論文と「個人資料ファイル(=いわゆるポートフォリオで、作品や活動の記録。株の組み合わせではない)」で選考され、既存の美術の形式に囚われないことを目指し理系と文系の区別もない。美術学部だけど音楽も勉強できる。都会に出られる。これは自分のためにある学科だ!となって志望校を東京藝術大学に変更します。 私の高校には美大受験をする人は年に5人もおらず、ゆえに指導する先生もいないという問題がありました。唯一の頼みが美術の先生でしたが、特に受験対策らしい受験対策もなく、ただひたすら小論文に向けて美術史の本や論文などを貸してもらい、議論をしていました(これはこれで役に立ちました)。しかし個人資料ファイルというものが自分も先生も分からず、どうしたものかと思いながら小学校とか中学校で賞を獲った記録などを載せていました。 そう、ブルーピリオドを読んでいれば速攻で予備校に行くべきだと気づけるところです。いやどうだろう、試験日まで1~2ヵ月しかないため断られるか、周りとのレベルの違いに圧倒されて受験自体を諦めていたかもしれません。そもそも藝大狙いで美術予備校に行くなら県外に通う必要もありました。 しかしとにかく八虎と同様、知らない強みで後から考えれば無謀とも思える受験をし、1次試験に合格します。うおおやっぱり自分には芸術の才能がある!東京が俺を呼んでいる(先端芸術表現科は茨城県の取手市にあります)! 2次試験の面接で、この時は川俣正教授がいらっしゃったと思います。当時は全くどんな人かも知らず、何を話したかも覚えていません。「君はどうなっていきたいの?」みたいなことを聞かれたような気もします。藝大の試験日は遅く、合格発表も遅いので、確か卒業式も終わった後に発表を見に行ったと記憶しています。結果は不合格。校門の前で各予備校がパンフレットを配っていましたが、何となく1冊だけ受け取ったところで浪人生活を過ごすことになります。 当時の先端芸術表現科は新しかったので、予備校もそれほど対策ができていなかったこともあり(それこそが大学側の狙いでしょう)、他の大学の近い学科を目指すのが中心のコースに入りました。そこで初めて美大受験で絵を描く時の鉛筆の削り方を知り、インスタレーション(八虎は大学入るまで知らなかった)などを知ります。 講評で上段に上がることは全くありませんでしたが、自分は目指すところが違うし、そもそも初心者なのだから仕方がないと思っていました。学科は常に1位だったし、小論文の授業では絶賛されていたので、このままでいいだろうと。東京は刺激的だし、先生も面白いし、同級生とも趣味が合うので、全く悲壮感はありませんでした。高校時代とは違って理系科目の勉強はほとんどせず3教科に絞り、あとはずっと本や展示で音楽や美術の知識を蓄積していたように思います。「作品を作る」という一番重要なことが抜けたまま。。それ故に8巻で八虎が言われた「『作品』を作ったことがないんだね~」というのは二十年の時を経てグサッとくる台詞でした。今も胸を張って『作品』を作ったかと問われるとかなり怪しい。 美大受験において難しいのはここに尽きて、結局実技ができないといけないということです(学びたいのが美術史やアートマネジメントであっても)。そして実技が「できる」とはどういうことか、高校で美術科にでも通ってない限りは予備校に行かないと誰も教えてくれない。ロボットを作ったことがなくても工学部に入れるし、手術をしたことがなくても医学部には入れます。これは他の学部や学科に比べて美大・芸大が優れているという話ではなく、そもそもの評価基準、体系が違うということです。少し前に藝大建築科を除籍になった方の記事が話題になりましたが、彼も彼を評価する人も一般的な大学や学校の枠組みで考え過ぎです。藝大が持て余したのでもなく、単純に質が低かったのだと思います(例えば先ほど挙げた川俣さんはもっとスケールの大きなことを実現しているので調べてみてください)。頭が良いくらいでは美術界を覆すのは難しいです。 ちなみに9巻で世田介が受かったのは「学科の成績が一番良かったから」という都市伝説が出てきますが、私たちが受験した時もそういう話はありました。特に先端芸術表現科のような領域横断的な学科では、キャラ被りしないように色んな分野から選ばれるという噂でした。つまり自分の場合、2次までいけたのは学科の要素が強く、落ちたのは自分より学科ができた人がいたとか、ポートフォリオや面接が酷過ぎたということで大体納得がいきます。「本当にすごい人は大学に通う意味がないので落とす」というのもありましたが、私ではないですね。 そんな感じで1浪目も2次まで進み、個人資料ファイルの意味も理解し、面接対策もし、若干の奇行に走って2ちゃんねるで言及されたりしましたが、またしても不合格。同じ予備校の現役合格者のセンター試験の得点は3割でしたが、今も立派に作家活動をされています。2浪目は予備校のコースも論文指導だけに変え、あんまり行かなくなってしまったので特に言うことはありません(駄目過ぎ)が、今度も2次で不合格、その前に受かっていた学校に入りました。 それぞれの悩みや台詞やシチュエーションが一度は実際に体験したことがあるようなことで、予備校講師も教授も同級生も先輩も後輩も親も美術を知らない友達も「こういうこと言うよな〜」のリアリティが高く(『君とガッタメラータ!』とか『A子さんの恋人』も再現度高い)、ドキッとして読む手が止まることもしばしばだけど、今更どうしようもない年齢になった(あんな風に怒られることもない)し、ある意味でこれを理解できるのは美大受験を経験したからとも言えるでしょう。ここまで自分は頑張ってなかったなと反省する気持ちもありますが、受験に関しては結果的にどの大学に行くことになっても(行かないという選択をしても)、手を動かして作品を作るのは結局自分なので、ただただ数千年続く美術という世界(美術業界でなく)に向き合うことが大事だなと思いながら読んでいます。
生きのびるための事務
人生を変える《事務》の捉え方・やり方 #1巻応援
生きのびるための事務
兎来栄寿
兎来栄寿
建築家で作家でアーティストの坂口恭平さん。マンガ好きにとっては『月刊スピリッツ』での連載のイメージも強いでしょうか。 そんな坂口恭平さんが、noteで執筆していた「生きのびるための事務」を『みちくさ日記』の道草晴子さんがコミカライズしたものがこちらです。 私は元のnote版を少し読んだ程度だったのですが、改めてこのコミカライズ版で通読すると本当に素晴らしい内容だなと感じると共に大きな勇気をもらえました。 皆さんは「事務」というとどういうイメージがあるでしょうか? 「メインの仕事とは別に存在する、やらねばならない多量の雑務」 「面倒くさいもの」 「堅苦しくて地味な仕事」 そんな風に捉えている人も少なくないと思います。かくいう私も、書類作成や確定申告などやりたくもない事務に時間と労力を割かねばならないのが辛く感じる人間です。しかし、この本を読むと「事務」というものの概念ががらりと変わります。 この書は、筆者が普通の就職はできず将来何をして良いのかも定まっていなかった大学4年生のときの筆者が、イマジナリーフレンドのジムを通してどうやって生きのびていけば良いのかを体得していった実体験を描いたものです。 家賃28000円の家に住み、日雇い仕事をして月給12万円ほどだった坂口さんが一体どのようにマインドと行動を変えて1000万円以上を稼ぎながら自由にやりたいことをして生活できるようになっていったのか。 ピカソやデュシャンなど、名だたるアーティストたちも事務をやりながら生きのびていっていたことに触れながら、 「≪事務≫こそが創造的な仕事を支える原点」 「≪事務≫は継続することでどんどん伸びていく」 「冒険があるところに≪事務≫がある」 「死ぬまで好きなことをやる続ける人生において、≪事務≫は好きとは何かを考える装置」 「会社設立は≪事務≫の中でも最高のブツ」 「やりたいことを最優先に即決で実行するために≪事務≫はある」 といったことを語っていきます。普通にイメージする事務とは、大分異なるのではないでしょうか。おおまかに言えば「スケジュール」と「お金」の管理こそが事務なのですが、それを具体的にどのように行なっていけば素晴らしい未来を切り拓いていけるのかが語られ、読んでいるだけでもワクワクします。 ジムは「イメージできることはすべて現実になる」と語りますが、私も他でもよく語られるその言葉は人生の指針のひとつでした。そして、そのイメージをどう具体化して実際の行動に移していくのか。そうしたところも実体験を通して非常に解りやすく記されています。 ・自己を肯定も否定もする必要はなくて、否定すべきは己が選んだ≪事務≫のやり方だけ ・才能というのは毎日やり続けられること ・≪将来の夢≫の前に≪将来の現実≫の具体的なヴィジョンを思い描き書き出し、≪将来の現実≫に楽しくないことは1秒も入れない といった部分も、とても共鳴します。 坂口さんは自身の電話番号を公開して(作中にも登場します)、自殺者を減らすための相談窓口「いのっちの電話」という活動も行っています。この本には、少々クセの強いところもありはしますが、それでもタイトルにある「生きのびるための」という部分が大きな意味を持つところもあります。文字通り、この本を読んだことで生きのびることができる人もきっといるはずです。 自分の好きなことだけをして生きていきたい人、将来何をして生きていけば良いのかわからない人にこの本が届いて欲しいです。すべては、≪事務≫のやり方で変えていけます。
「たま」という船に乗っていた
伝説のバンド「たま」が教えてくれる大切なこと #完結応援
「たま」という船に乗っていた
兎来栄寿
兎来栄寿
先日、久松史奈さんが「さよなら人類」をカバーした音源を発表しました。原曲から比べると非常にアップテンポでパンキッシュなアレンジなっており、音としては2000年前後を感じる不思議で心地よい感覚でした。その「さよなら人類」を世に送り出し一世を風靡したアーティスト、たま。 石川浩司 知久寿明 柳原陽一郎 滝本晃司 「たま現象」とまで呼ばれた社会現象も巻き起こした、空前絶後の個性の塊のような伝説のバンド。2003年の解散後に中心人物である石川さんが書き下ろした同名のエッセイを元に、原田高夕己さんが追加取材を重ねてコミカライズしたのがこちらです。 webアクションで連載され最終話とエピローグが5月31日に公開予定ですが、それに先んじてそこまでを収録した2冊目の単行本である『らんちう編』が発売となり完結までを読了しました。 私は「さよなら人類」くらいしか知らない完全に後追いの世代ですが、この作品を読むことでたまという存在の面白さや偉大さを知ることができました。これを書いている最中に「さよなら人類」や「らんちう」を聴いていたら、同じく世代ではない家族も歌を覚えて口ずさんでいました。時代も国境も人種もすべて超える音楽のパワーの片鱗を感じました。 音楽でお客さんを楽しませようとするエンターテイナー精神はもちろんのこと、音楽以外の部分でも空き缶を30000本集めたり、レンタルボックスの先駆け的なお店を始めたり、とにかくやりたいことや楽しいことを追求している石川さんの姿勢は多くの人に感銘を与えるであろうものです。たまのファンはもちろんですが、そうでない人が読んでも楽しめるであろう部分が多々あります。 バンド全体としても、たとえ舞台が武道館であってもまったく気負うことなく、紅白に出ていたときでさえ合間の時間に抜けて劇を観に行くなど、肩の力を抜いて自然体であり続ける姿勢は、何かすごく大切なことを背中で語ってくれているように感じます。 藤子Aさんチックな絵柄で描く、原田高夕己さんの筆致もまたこの作品において絶妙です。基本は親しみやすい線で読みやすく、昔の大御所作家から現代のネットミーム的なネタまで幅広く入れ込んでありユーモラス。ただ、ここぞというシーンは最上の演出でキメてくれます。1巻最後のたまがスターダムに上る大きなきっかけである伝説の「イカ天」出演時のお話や、終盤のいくつかのライブシーンなどは特に最高です。 セカンドアルバムを作る時の「国内のスタジオの使用料がバカ高いから渡航費や宿泊費含めても海外の方が安上がりなのでイギリスとフランスでレコーディングする」というエピソードや、女性ファンがメンバーの泊まるホテルを特定して、ロビーで酒を飲みながら待ち構え、本人たちを描いた18禁BL同人誌を直接手渡したという今だったら大炎上不可避案件には時代を強く感じました。価値観の変容が読み取れるところは、史料的な意義も感じます。 何事も始まりがあれば、終わりもあるのがこの世の理。たまという船から下りる人が出てくるころのお話は切ないです。日本を飛び越えてワールドワイドにも活躍したたま。その「最期」は胸に来ました。 最後のエピローグの後に、石川さんの「玄関」という曲の歌詞が綴られており、そこにある仕掛けやあとがきも含めて何とも言えない良い読後感に包まれました。 ″世の中何がおこるかわからないから 色んな事楽しみにして ニコニコゲラゲラ 笑って生きていくといいと思うよ〜!″ これからどんな風に世界が変わっていこうとも、この石川さんの言葉に救われる人が多くいることを祈ります。 たまを好きな方は読んで懐かしみ、たまを知らない方はこれを機にこんなすごい人たちがいてこんな曲があったのだということを知るきっかけにしてみてはいかがでしょうか。
どくだみの花咲くころ
言葉が無粋になる少年たちの情緒と創作 #1巻応援
どくだみの花咲くころ
兎来栄寿
兎来栄寿
筆者の城戸志保さんは2020年に安野モヨコさんの「ANNORMAL展」を見て触発されて描いたのがこの作品だそうですが、2022年の10月に四季賞でその安野さんより「絵柄やセリフ・エピソードの選び方に独創的なセンスを感じる」「無造作な美しさが個性であり武器」と講評を受け、そして大賞を受賞。そして連載化して、今日単行本1巻が発売と創作が人の心に及ぼす素敵な連鎖を感じさせてくれます。 安野さんが指摘する通り、この物語の人物の配置は少し特殊です。癇癪持ちで怖い噂もあり関わりにくい信楽くんという問題児の存在と対置される主人公の優等生・清水くんは、一般的にはマジョリティ的感性から信楽くんに戸惑う普通の人物として描かれることが多いでしょう。しかし、清水くんは勉強も運動もできるにも関わらず、お金持ちの家の息子としてやや感性が庶民からズレており、言動も信楽くんに負けず劣らず危うく突飛なところがある少年として描かれます。 そして、何より大事なのは清水くんだけが信楽くんの創り出すものに心酔し、信楽くんに神聖性を見出すところです。他の誰も知らない、世界で自分だけが知っているダイヤモンドの原石のように。狂信的になる清水くんの気持ちも、とても解ります。 清水くんは冒頭で ″俺は自覚なく信楽くんを傷つけるだろうし そうなったら信楽くんがどうなるのかわからない それはいやだ″ と客観的な視点からの自覚を持っているのですが、その気持ちの大きさ故にとてつもなく不器用になって暴走してしまうところも痛々しいほどに解ります。子供のころなんて自分の感情を上手く表現できなくて当たり前ですし、それ故に失敗することも多々ありますが、ままならない情動に苦しむ信楽くんも含めてそんな淡く苦い記憶を呼び覚まされるようです。 人間が誰か特定の個人と結びつくのはそれだけでも貴重ですが、それが双方向的に圧倒的に強く結びつく瞬間というのは、奇跡と呼んでも差し支えないものです。そんな言葉では表せない奇跡の眩いばかりの尊さが、この物語では描かれていて惹かれます。 湿った日陰で育ち、生臭い魚のような臭いから魚腥草とも呼ばれ、海外でもfish herb・fish mint・fish wortなどとも呼ばれるどくだみ。その花言葉は、「白い追憶」「自己犠牲」「野生」。仄暗さと高潔さ、危うさを含む他者との関係性と激しさが同居するようなそれらは、この作品全体のイメージとしてどくだみは非常に合っているように感じます。 ジャリジャリのミロや、アスパラのエピソードなど、独特の感性から描き出されるひとつひとつの要素も印象的です。 果たして、彼らの関係性や未来はどのようになっていくのか。言葉では何とも言い表し切れない強い魅力が随所にあり、今目が離せない物語です。 余談1 信楽、清水、瀬戸、伊賀、砥部、美濃、九谷、小鹿田、壺屋など、登場人物の多くは焼物から名前が取られています。作っては微細なコンディションの差で失敗し、壊してまた作り直す焼物もまた本作において象徴的な存在と言えるのかもしれません。 余談2 2話の最初で、教室の後ろに掲示されている書が「一意専心」はともかく「鬼手仏心」は趣深いです。九谷さんの「魁」書道バッグも好きです。
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