「徹し」のダメージはどうなる!?
「徹し」とは、鎧を着た敵を素手で
触れただけで倒してしまうという
伝説の技です。
鎧の上からでも威力が伝わるという
事は、その技の正体は ”衝撃波”だと
察せられます。
桐生が「徹し」を撃った絵を見ると、
右足のひねり、腰のひねり、そして
左腕のひねり、それらひねりの威力
が重なり 手の平から強烈な衝撃波を
生み出していると考えられます。
この技を受けた相手は、その衝撃で
七孔墳血=目、耳、鼻、口から血が
噴き出しています。
香澄も小夜子も さらに小夜子を通し
千歌も血が噴き出している惨状です。
ただ、この三人は即死してはいない
のです。 香澄は 爆弾の解除をする
余力を残しています。
また、桐生は小夜子と千歌にトドメ
を刺そうとしますが、少々時間が
かかっているのです。これが何を
意味するのか?
桐生は メデューサたちを殺す気が
ないのではないか?
「徹し」は桐生への恐怖を植えつけ
るもので、その恐怖でメデューサ
たちを支配し利用するのが目的では
ないか?
桐生と瑠璃子は 海外に逃げても、
いつ ”闇の組織”から狙われるやも
しれません。そのための兵隊として
メデューサたちを支配しておこうと
いうのが、瑠璃子が桐生に頼んだ事
なのかと考察しております。
『ロックンリール』や『《魔力無限》のマナポーター ~パーティの魔力を全て供給していたのに、勇者に追放されました。魔力不足で聖剣が使えないと焦っても、メンバー全員が勇者を見限ったのでもう遅い~(コミック)』の伊藤ひずみさんによる、パチスロ版『プロジェクトX』や『ガイアの夜明け』的なドキュメンタリーです。
私はパチンコ・パチスロは付き合いで多少嗜んだくらいですが、元々『バジリスク』の原作もアニメも山田風太郎さんも好きだったので、『バジリスク』シリーズは多少触りました。
当時はカラオケでの十八番が陰陽座の「蛟龍の巫女」だったので、『バジリスク2』で激アツの際に流れる曲として採用されたのは望外でした。
1/16000の白バジが揃ってエンディングまで到達し、弦之助と朧の悲痛な最期を見て泣きながら打ったのは良い思い出です。
そんな『バジリスク』シリーズの中でも人気の高い『バジリスク絆』がいかに誕生したのかというエピソードからこの本は始まります。
『バジリスク2』から絵やアニメーションの素材はそこまで増やせない中で、どうやって新鮮味を生み初心者から玄人までを楽しませる台を作るのか? その苦心惨憺ぶりが描かれていきます。他の分野と何ら遜色のない、モノ創りへの熱情がそこにはあります。
他にも『アナザーゴッドハーデス』、『ディスクアップ』、『ハナビ』など長年ホールで愛された名器たちの誕生秘話が記されています。この辺の台に思い出や愛着がある方であればとても楽しめるのではないでしょうか。
伊藤ひずみさんの絵はスタイリッシュで読みやすいですし、パチスロを打たない方でも「こういう世界があるんだなぁ」とビジネスマンガとして楽しめる作品であると思います。
さらに農強聖女とあるけど、全ては身につけた知識からの応用で、特殊魔法などのチートはない。
そもそも、聖女は信仰の対象であって、それ以上のものではないと言い切られている。
でも「このひとがそういうなら大丈夫」という、折れそうな心の支えには必要で、それがすごく強い力を発揮するようだ。
ひどい飢饉を乗り越えるため、先代聖女は身を粉にしてあちこちへ出向いた。
持てるものを持たさるものへすべて差し出し、幼い我が子にも次代聖女にも同じことを強いた。ある種、洗脳した。
ひどい飢饉の状況を目の当たりにした幼い主人公はトラウマを負ってしまったけど、先代聖女様も同じようにトラウマを負ってしまったのかもしれない。
再び飢饉を起こさないため、農業を強化するのが必須な状況。
先代は祈るだけでなく、直接的に作用する農薬を研究・開発した。
かわって、あまりにも清廉すぎて、おかしなことになっている主人公。
主人公のことを心配していたときもある、妹。
ひどい光景を目の当たりにしすぎた女の子が、知識を生かしながら、そのトラウマを乗り越えていくお話、ということでいいんだろうか。
トラウマ由来の呪縛がなんとかならないと、主人公も妹も救われない。
孫に会いたい気持ちと、良いことをしている自分に酔うのを並立させちゃうかんじがリアル。
突然理由をつけて行くよ連絡に始まり、好みでない服を渡されるとか、子どもの面倒をみるといって古い知識で対応されるとか。
さらに、ユイの夫はダメ男過ぎて、読んでいて心がしんでしまう。なんでこいつと結婚した。
とはいえ、対照となる毒山家がイクメンお父さんとなっているのは、働いてないからだろうなと思った。
二人でみているから余裕がある。
お金はないけど。
赤ちゃんは大人二人で1から10まで面倒をみないと、とても大変。
そして毒山家義母は、嫁に好みでない、サイズも不確かな服じゃなく現金を手渡してくれる。
よくわかっている。
現金。
商品券じゃなく、現金。
取っておけば、子どもが成長したときの資金になり、使えば今助かる。
封筒にすら入ってないのが生々しいけど、そんなのは些末に感じるほど、いらない服や夫婦で決めたかったアレヤコレヤの押し付け(知人談)と比べると、現金は嬉しい。
作中の義母ふたりは、自分が当時必要だったものを与えているだけかもしれない。
それなのに差が生まれるのは、結婚相手の親は選ばなくても身内になってしまう他人、という距離感を忘れているからと思える。
夫婦の関係も危ういのに、義母が更に危うくしてくる。
どちらも崩壊しそうな、危ういところに立っている御夫婦のお話。
坂井戸さんは「パフェのここんとこ(フルーツやクリームが華やかに乗っているところ)しか食べたくない」って言ってたけど、向井くんとつきあうってことは、まさに、「ここんとこ」を食べた後の「掘れども掘れども」の部分じゃないの。その中に何か隠れているって期待しているのかな。
向井くんは坂井戸さんのことを「パフェのここんとこ」としか思ってなさそうだし。
うまい比喩を見つけたと思ってもそのあとどうなってんのかな、と思ってしまった。