サチある道々~私をいらない両親へ【電子単行本版】

失った幸を取り戻すつながりの物語 #完結応援

サチある道々~私をいらない両親へ【電子単行本版】 岡本一広
兎来栄寿
兎来栄寿
『トランスルーセント~彼女は半透明~』に出逢って以来、大好きな岡本一広さんの最新作です。今も変わらず本当に素晴らしいマンガをお描きになっていて、胸が一杯になります。 岡本一広さんが描く痛み、そしてそれを包み込むような優しい温かみは必ずこの世界に生きる誰かの救いとなることでしょう。 母親に捨てられ、父親と暮らしているもののその父親もクズの極みで11歳のサチが家から放り出されるところから始まるこの物語。日々まともにご飯を食べることもできず、お風呂にも入れず、髪も爪もボロボロ。たくさんの否定や拒絶を受けてきてトラウマも抱え十円ハゲもある、およそ現代日本で多くの子どもたちが普通に与えられているものを与えられずに育った少女が本作の主人公です。 行くところのないサチはとりあえず母・スミレの家に行きますが、そこにスミレはおらず代わりにやってきたのがスミレを慕う鍵職人の男コジロー。サチは、コジローの車で長野に住む祖父母の家を目指す旅をふたりで始めていきます。 行く先々でいろいろな人々に出逢い、優しさや悲しみに触れていくさまはロードムービー感もあります。それぞれの出逢いと別れの中にもたっぷりとドラマが詰まっており、各エピソードに味わい深い良さがあります。 そうした良さもある上で、この物語の根幹にあるのは家族を中心とした人と人との繋がりです。 コジローもコジローで幼くして母親を亡くしており仕事で家にいない父親の代わりに歳の離れた姉が親代わりであったという生い立ちで、 ″死んだお母ちゃんがよう言うとった さみしいとか悲しいとか苦しいとか どうしようもないイヤなことがあってもな 「楽しいこと」が埋めてくれる せやきコジロー楽しいことをたくさんしい 「楽しいこと」がお前を助けてくれるんよ″ という姉から受けた言葉、それにまつわるエピソードなどはグッときます。普段は人にバカにされてばかりだけれど、そんな自分をバカにしないスミレが好きであるという人間的な部分も魅力的です。 そして、他の多くの物語だと毒親という類型的なキャラクターとして片付けられていそうな母親のスミレも彼女がどのようにして育ってきたのか、どのような家族との関わりを通して今のようになるに至ったのかが詳らかに描かれます。継母との関係が上手くいかず、 ″あたしには母親のお手本がなかった″ と語るスミレ。本当は子供を愛してあげたい、でも上手く愛せないしそのやり方を知らない。そんなスミレの苦悩もまた感じ入るところや考えさせられる部分が多分にあります。そしてまたスミレの継母の方の気持ちもとても解るように描かれているのが巧いです。 そうした彼らの、儚くも貴い結びつき。サチが好きな祖父の ″人間はよいろんな人と関わるけどよ 大切に思う人とは心の底でちゃんと手を繋いで つながっていればな 実際には離れたとこにおったとしても へいちゃらでおれるよ つながり方が大事なんだに″ という素晴らしいセリフにすべて集約されています。みんなそれぞれどこかしらが欠けてしまっている登場人物たちが、辛いものを乗り越えながら少しずつ繋がって生み出していく温かなもの、失ったものを取り戻していく素晴らしさ。 たくさんのそこに体温と心臓の鼓動と息遣いがあるのを感じられる人間たちと、その複雑でかけがえない繋がりが描かれている秀逸な作品です。
特別じゃない、君が特別。

主人公になれない主人公 #1巻応援

特別じゃない、君が特別。 あむ
兎来栄寿
兎来栄寿
先月完結巻の2巻が発売した『私が15歳ではなくなっても。』で、その異才を遺憾なく発揮していたあむさん、やはり好いです。 『うちのアイドルが可愛いすぎる! アンソロジーコミック』に収録されている、あむさんの「特別じゃない、君が特別。」。こちらを単話で買って読むこともできます。シーモア先行配信で1ヶ月前に発売していましたが、今日から他の電子書店でも展開されているようです。 まず、表紙絵の引きが強いですよね。今をときめく『【推しの子】』にも負けていないと感じます。そして、その画力がかわいい部分だけでなくエグい部分にも用いられているのが良いです。 アイドルアンソロ収録作品ということでアイドルを題材にしており、『私が15歳ではなくなっても。』ほどまではダークではないのですが、輝くスターたちの裏で燻って儚く消失していく地下アイドルの、現実にもあるであろう無数の物語のひとつが描かれます。それはまるで、小さな星の輝きを太陽がまるごと飲み込んで巨大な力で宇宙から消失させてしまうかのように。 自分のマイナスの立ち位置を正しく認識して、すべき努力を言語化して、少しずつでも前に進もうとするその先に待ち構えるもの。短編だからこそ描ける特別ではないから特別で、主人公ではない主人公。 「夢を追う時」から始まるモノローグは蓋し名言です。 あむさんの描くマンガをもっともっと読みたいと思わせてくれる、24Pです。
スカビオサ【電子単行本版】

煮え切らない彼氏との別れからの意外な展開 #1巻応援

スカビオサ【電子単行本版】 深月くるみ
兎来栄寿
兎来栄寿
スカビオサの花言葉は色によって違いますが、 紫 私はすべてを失った、未亡人 青 悲しむ花嫁、朝の花嫁 白 不幸な愛 ピンク 悲哀の心 黄 再起 赤 感じやすい心 と、基本的にはマイナスのイメージが暗示されます。そして、カラーページや単行本の表紙のカラー的には青や紫系の寒色の印象が強いです。実際にどうなるかは結末を見るまではわかりませんが、現時点では明るい未来が待っている可能性の方が低いように思えます。 5年ほど付き合い同棲中の恋人・拓磨と真剣に結婚を考えているのに、相手には全然その気がなさそうで家政婦のような生活に嫌気が差して別れる決意をする千尋。そんな千尋に、新たに距離を縮めてくる男性・潤平が出現。拓磨より優しくスマートな潤平にどんどん惹かれていく千尋の運命やいかに……というお話です。 女性向けの作品で彼氏や夫のダメっぷりと別れから始まる物語は数多くありますが、その中にあって意外に感じる展開・掘り下げがありました。それ故、読んでいてこの後の物語がどうなっていくのか気になります。 本作は主要キャラ以外の周りのキャラクターも立っていて、特に拓磨のお姉さんは竹を割ったような性格のとても良いキャラで、推せます。 筆者の深月くるみさんの、スタイリッシュな絵柄もお話のテイストにマッチしていて好きです。 大人の男女の痴情のもつれを見たい方にお薦めします。実写化も非常にしやすく人気を得られそうな内容なので、ドラマ化などしたら一気にブレイクするポテンシャルを感じます。 なお、続きは単話で売られていますが、単行本2巻目も3月2日発売予定です。
私が15歳ではなくなっても。【単行本版】

中年男性とパパ活少女、それぞれの絶望 #1巻応援

私が15歳ではなくなっても。【単行本版】 あむ
兎来栄寿
兎来栄寿
今とても熱いレーベルのひとつであるコミックアウルから、新進気鋭の才能により放たれた鋭利なる一撃。 「これが令和の『罪と罰』だ!!!」と帯に銘打たれていますが、読んでいる時の常在的な息苦しさはまさにドストエフスキー作品を読んでいる時のそれです。 「中年になっても性欲はみじめに残る  俺は生きているだけで害悪だろうか」 と吐露する40歳中年男性がこの物語の主人公です。幼い頃は「お父さんみたいな人と結婚したい」と自分を慕ってくれた娘が思春期になると自分を汚物のように嫌悪してくるようになり、奔放に浪費する妻を尻目に辛い労働に勤しむ日々。 ぱっと見は普通の中年男性なのですが、娘のブラジャーを見て劣情を催したり、醜く毛が突き出た自分の手指を見て「俺 指も汚な…」と自己嫌悪を深めるシーンなどディティールの積み重ねによる絶望感が利いてきます。 父としても夫としても自分の存在意義に悩む主人公は、ある日15歳の訳ありパパ活少女と遭遇します。彼女もまた、とある事件とそれに起因する鬱屈した日常を送る人間でした。若い身体に価値がある内に小銭を稼いで海の見える遠い町で花屋を営み穏やかに生きて死にたい、と願う少女。二人の歪みが重なり合うことで生じる奇矯な関係性から、物語は駆動していきます。 とにかく本作はさまざまなシーンでの表現力と迫力が見どころです。全力の嫌悪感や全力の絶望感、背徳感と欲求との鬩ぎ合いが、叩き付けるような描写によって暴力的に繰り出され続けていきます。ひたすら辛いのに、ある種の疾走感すら覚えるほどです。 表紙のかわいい女の子からは想像しにくいかもしれませんが、読感としてはビーム系の作品に近いです。かわいい女の子を描けるからこそのギャップが非常に活きていると言えるでしょう。 闇の深い物語を好きな方には強く推します。
ニューノーマル【単行本版】

マスクが"常識"となった世界の少年少女の物語 #1巻応援

ニューノーマル【単行本版】 相原瑛人
sogor25
sogor25
この作品の舞台は"ある感染症"のパンデミックにより、人前でマスクをすることが常識であり文化となった世界。 そんな新しい価値観が広まった世界における思春期の少年少女を描く作品です 「マスクの着用が普通になる」という、現実に近い設定の作品のように視えるのですが、この作品が現実と大きく異なるのは、公共の場でマスクをすることが感染症対策という目的を越えた"常識"となっていること。 つまりマスクはほとんど衣服と同様の扱いになっていて、「マスクをしない時代」を知らない思春期の少年少女にとってはマスクの下の鼻や口を見られることは"恥ずかしいこと"なのです。 ただ、衣服と違ってマスクは食事のときなどには外す動作が必要なため、日常生活の中でマスクの下を見られる隙が生じるということ。 この作品では「マスクを外した状態の顔を見られる」という私達にとっては普通の出来事が、登場人物にとって極めて衝撃的でビビッドな瞬間として描かれています。 この作品は"マスクが常識となった世界"という設定で現代の情勢をSF的に組み込みつつ、その中で生きる思春期の少年少女を瑞々しく描いている、設定の新しさと思春期という普遍的なテーマの両方を兼ね備えた作品です。 1巻まで読了