僕はまだ野球を知らない
野球未経験の野球馬鹿という利巧か馬鹿か良くわからない主人公
僕はまだ野球を知らない 西餅
名無し
野球未経験だが統計学を駆使して頑張る 新米高校野球部監督の話。 スポーツ漫画では昔から 「センスと体力の塊」みたいな主人公に 「知能と論理が全て」みたいなライバル登場、 ってのはよくあった。 メガネをかけてパソコン持ち歩いているようなやつ。 大概は「(主人公)は計算外の大物だ」みたいになって 主人公が勝つんだけれど(笑)。 漫画キャラとしては計算高いやつより 純粋にその競技が好きなやつのほうが好まれて 論理派は嫌われるだろうし、 そういう設定と結末になるのはある意味で自然かも。 「僕はまだ~」で好感を感じたのは 主人公が統計学馬鹿なんだけれども、 統計学馬鹿が野球に口出ししてきたのではなく、 野球馬鹿が統計学を武器に頑張るということ。 そして、統計学を勝利のためだけでなく、 選手の可能性を奪わないために使うこと。 野球が好きだがやらせてもらえなかった?主人公が 野球未経験の自分がどうやったら野球に関われるか、 弱小高校のナインを勝たせてやれるのか、 そう考えて武器にしたのが統計学である、ということ。 主人公が単なる統計学馬鹿で野球を好きでもなんでもないし 勝つことだけを目的に考えるキャラなら この漫画はまったく魅力がないものになっていたはず。 それとこの手のパソコン信者とかデータ主義の キャラって理知的過ぎて人間味にかけたり、 そんな凄い処理能力のPCや そんな都合のいい正確で大量のデータなんか 用意できるわけがないだろ、という無理無理感が つきまとったりする、普通は。 そのへんを最新の機器やソフトを登場させ、 工業高校であるという強み? そして主人公の情報収集力が ストーカーレベルに上昇した、 などの小ボケネタ的エピソードを盛り込んで 話に説得力と好感を持たせている。 この漫画については僕はまだ一巻までしか知らない(笑) 多分、二巻から先では統計学の限界とかに ぶつかったりして悩んだりするんだろうな、と想像している。 そんな限界を小ボケかましたりしながら乗り越えていく(だろう) 主人公と野球部員の話を、これから読むのが楽しみだ。
鉄腕ガール
女子プロ野球に、太陽は昇るか。
鉄腕ガール 高橋ツトム
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ
【世界と戦うアスリート漫画①〜スポーツコラム風に】 1934(昭和9)年、あのベーブ・ルースを擁した米国選抜チームを相手に一人、気を吐いた日本人投手がいた。その年、彼を中心に日本初の男子プロ野球チームが誕生する。 彼の名は、沢村栄治。背番号14。 学生野球が盛んな日本にようやく生まれたプロ野球の中心で、彼は自ら輝き、日本中を熱中させた「太陽」だった……というのは史実。 ★★★★★★ そしてここからは架空の話。 例えば太平洋戦争敗戦後に日本で女子プロ野球リーグを構想するとして、もし沢村栄治のような「太陽」が女子にいたら、どうなっただろう? カフェの女給を寄せ集めたチームの中に、ずば抜けた身体能力と負けん気を持った女がいた。彼女は化粧品会社の女性社長のチームで、日本を代表する豪腕……まるで沢村のような……に成長する。 彼女の名は、加納トメ。背番号14。 その豪速球とマウンド度胸は、周囲に夢を見させる。しかし彼女を待っていたのは、プロリーグではなかった。 女性社長と彼女の弟はプロリーグ構想を骨抜きにし、米国資本との賭け試合を仕掛ける。米国との「経済戦争」は日本中を熱狂させるが、その先に待っていたのは……。 プロリーグとは縁遠い場所で、加納トメは全身全霊で戦い続ける。勝負の場を作るために自ら前線に立ち、女が野球をやる権利を賭けた大博打を打つ。そして圧倒的な才能にも関わらず、常に格上に挑み、負けて当然のギリギリの闘いをする。 その姿は時に清々しく、時にひどく見苦しい。しかし彼女は周囲を惹きつけ、「太陽」として日本を明るく照らし、現代の我々の網膜にも忘れ難い影を焼き付ける。 ★★★★★ ……という強烈な印象を残す本作。その現実離れした物語は実際のスポーツ興行には参考にし難いと思われるかもしれない。しかし私達は本来、現実離れした圧倒的な才能・物凄いプレイを観たくて、競技場に足を運び、ニュースに一喜一憂するのではなかったか。 例えば『1518! イチゴーイチハチ!』の環会長や、『球詠』の選手達が将来飛び込む女子プロ野球の歴史に、もし加納トメがいたら……と想像するのはとても楽しい。それは彼女達が加納トメというとんでもない才能を目標にし、いつか凌駕し、歴史を上書きする瞬間を見せてくれることを期待するからだ。
ONE OUTS
反現代野球 〜神様、仏様、渡久地様〜
ONE OUTS 甲斐谷忍
影絵が趣味
影絵が趣味
甲斐谷忍の『ONE OUTS』といえば、正統派の野球マンガからはちょっと離れた洒落っ気のある野球マンガと思われがちですが、じっさい『ONE OUTS』ほど反現代的で泥臭い野球マンガはないでしょう。 NPBのシーズン最多勝記録は42勝で稲尾和久の手にありますが、42勝ですよ、バカなんですか。いまの野球では考えられない。当時は力のあるピッチャーが平気で連投していたんですね。まあ、連投だけなら無理をすれば誰にでもできますけど、連投しながら尚且つチームを勝利に導くとなるとはなしは変わってくる。ある年の日本シリーズにいたっては7試合中6試合に登板、そのうちの4試合で完投し、優勝をもぎとっています。そのときの新聞の見出しには「神様、仏様、稲尾様」と載ったのだとか。 稲尾はシーズン42勝の記録と同じ年に、シーズン与20敬遠という不名誉な記録も持っていて、これまたNPBの最多記録となっている。これらの記録からみえてくるのは、流しどころ、抑えどころをよく知っているということ、つまりは効率のよい勝ち方を知っているということだと思います。 まあ、何というか、連投、勝つ、敬遠、これだけでも渡久地とよく似ている感じがしてきましたけど、稲尾はさらに制球が非常に優れたピッチャーとしても知られている。球速は平凡で、変化球はスライダーとシュート、スライダーが決め球だと周りに吹聴していながら、本当の決め球はシュートのほうだったという食わせ者でもあります。 ほかにも、ささやき投法や、目の細さを利用したポーカーフェイスだったり、投げる直前で握りを変えたり、あらゆる要素を掛け合わせて勝ち星を取りにいく。ピッチャーとして非凡な能力を持っていたのはもちろんですけども、さらにそれに加えて一級の勝負師でもあった。それ故に無茶な連投しながらの42勝があるのでしょう。 マンガの世界の夢の投手だと思っていた渡久地のような選手が、じつは野蛮だったといわれる昔の野球に実在していたのは何とも面白おかしなはなしではありませんか。
キャプテン
コロナなんかクソ喰らえ!
キャプテン ちばあきお
影絵が趣味
影絵が趣味
新型コロナウイルスの影響で春のセンバツが中止になった。コロナなんかクソ喰らえ! 少年の頃から甲子園を夢みて日夜練習に励んでいた球児たちのことを想うとほんとうに涙がでる。色々と救済案が検討されているらしいが、おそらくどれも大した効果は生みはしないだろう。奇跡的にも90回、100回と聖地・甲子園の地で途方もない熱戦を繰り広げ続けている大会だからこそ球児たちの憧れになる。この奇跡的な歴史の積み重ねの上に、こんどは自らが新しい歴史を刻んでゆく、これほどの夢がほかにあるだろうか。 ジタバタしていても仕方ないので、ちばあきおの『キャプテン』を読む。もちろん、イガラシ編の春の選抜大会の巻だ。大会に向けた過激な練習が教育ママの松尾の母ちゃんに問題視され、そんなタイミングで運悪く松尾が怪我してしまい、イガラシは校長から選抜辞退を宣告される。 ジタバタしていても仕方がない。いまこそ我々はちばあきおの『キャプテン』を読むべきなのだ。可哀相な事態が起こったから救済措置を設けますといったって、この世界はマイナス1に1を足せばゼロにもどる数式のようにはできていない。無念は無念のまま残り、救済は救済としてあるかもしれないが無念とはすれちがったままだろう。それどころか、救済が何らかの形で夏の大会にまで及べば、さらなる無念や軋轢を生むことは想像に容易い。いまこそ我々は『キャプテン』を読むべきなのだ。
湯神くんには友達がいない
絶対にブレない主人公
湯神くんには友達がいない 佐倉準
六文銭
六文銭
もう3回くらい繰り返し読んでいるけど、本当に好きな作品。 なぜかの理由は言葉にするのは難しいのだけど、 ストーリーの起承転結がしっかりしてて、キャラも良い感じにたっているということだと思う。 ほんのりギャグ風味でラブコメ風味なのも自分の好みにあっている。 主人公は、 「友達なんていらない」と言っているちょっと変わった主人公で、 終始そのスタンス貫き通して高校3年間が終わる。 その間に、クラス内とか、部活とかでいざこざあるのだけど、絶対にその姿勢はブレない。 高校生くらいだと、もっとコミュニティとか、なんかつながりとか、きずな?とか大事にするだろ!と思うが湯神くんはしない。 自分の価値観に則って、大衆に全く迎合しないのだ。 趣味、落語とか城めぐりだし。(おっさんかよ) 高校生にして達観しすぎてて、なんとも清々しくて逆に許せてしまう。 最後のほうは、あぁこれが湯神くんだな、なんて妙に納得してしまう始末。 ヒロインのちひろちゃんとの距離感もよい。 お互い気になりながらもつかず離れずな関係で、ベタベタしない。 (ちひろちゃんも、また良いのです。時々、素っ頓狂な顔するのがたまらない。) そんな感じで、ちょっと変わった価値観をもったブレない生き方をする主人公の話。 他では味わえない一風変わった青春群像劇です。
ちかいの魔球
本格野球マンガ、そしてちば少年マンガの源流
ちかいの魔球 ちばてつや 福本和也
兎来栄寿
兎来栄寿
野球マンガの歴史自体は1940年代頃から始まっているが、現在に至るまでの野球マンガの基礎となる部分を規定したのは貝塚ひろしの『くりくり投手』である。それまでは打者中心だった野球マンガを、この作品以降は投手中心に描くようになった(近年でも『おおきく振りかぶって』や『ダイヤのA』、『群青にサイレン』や『ビッグシックス』など投手中心に描かれた野球マンガは枚挙にいとまがない)。 そして、この作品で初めて俗に言う「魔球」が登場し、また打者も必殺技的な打法を使う言わば「超人スポーツマンガ」の先駆者的な存在となっていた(ちなみに、魔球という言葉自体は変化球を指す言葉として戦前から存在したと言われている)。 その流れを受け継ぎ、ちばてつやの画風とシリアスな物語展開で硬派な魅力も併せ持ったのが『ちかいの魔球』である。記号性の強い絵である『くりくり投手』に比べ、男性は格好よく女性はかわいくとよりキャラクターのリアルな魅力が絵からもエピソードからも溢れていた。 王貞治が一本足打法に開眼し、長嶋茂雄とのON砲が国民的人気を誇り始めたのが1962年だが、『ちかいの魔球』はそれに重なるように1961年〜1962年の間に黎明期の週刊少年マガジンで連載され大人気を博した。彼らや巨人のV9時代を率いた川上監督など、実在の有名プロ野球選手が作中に多数登場するのもこの時代の野球マンガの特徴だ。 17歳でデビューし、少女マンガで活躍していたちばてつやは21歳にしてこの『ちかいの魔球』を少年マンガ誌でも描き始め、ブレイクし始める。その後、マガジン誌上で『紫電改のタカ』や『ハリスの旋風』を経て68年には爆発的な人気を誇る『あしたのジョー』へと至るのはご存知の通り。 止まる魔球、分身魔球、消える魔球と、後の野球マンガや野球ゲームでも頻出する魔球が60年近く前のこの作品には登場している。 球が増える魔球自体は『くりくり投手』にも存在したが、『ちかいの魔球』での大きな変化は、魔球のメカニズムに理由付けがなされたことだ。それはあたかも当時マンガ表現全体に影響を与えた白土三平の忍者マンガにおける忍術や武器の解説のようであり、また大人が読んでも楽しめる骨太なドラマ作りにも白土三平の影響が感じられる。 66年に連載が始まる野球マンガの金字塔『巨人の星』との設定的な共通項も数多く、知名度では『巨人の星』に及んでいないものの本格的な野球ドラマの大きな一つの源流となった作品である。 『あしたのジョー』くらいしかちばてつや作品を読んだことはないという人も多いかもしれないが、野球マンガ及び超人スポーツマンガのルーツとして触れてみるのも良いだろう。
どぐされ球団
「どぐされ」とは何か?一読の価値あり。
どぐされ球団 竜崎遼児
名無し
かつてはドラフト一位指名候補のピッチャーだったが、 指を切断し、野球生命を絶たれたかにみえた鳴海真介。 しかし一癖二癖あるツワモノばかりがあつまる球団 「明王アタックス」が代打専門として獲得。 一打席に野球人生をかける真介と、 曲者揃いのチームメイトがプロ野球界で暴れ捲る。 代打として生きる野球選手の漫画としては 「あぶさん(作画・水島新司)」が既に連載しており なんだか二番煎じの設定だな、と当初は感じたし、 多分、世間もその程度に捉えていた気もする。 くわえて「どぐされ球団」の「どぐされ」って何? という馴染みのない題名に違和感もあったと思う。 そのあたりからわりと不当に低く評価されがちというか、 「見ず嫌い」された漫画だったんじゃないかな、 と思ったりもする。 けれど野球漫画としては結構重厚、肉厚。 サーカス出身とか隻眼だとか、 一見すると奇をてらった感のある選手も登場するが、 竜崎先生なりの野球理論、技術論で、 納得のいく見ごたえのあるプロのプレーを繰り広げてくれる。 また、掲載が月刊少年ジャンプだったこともあり、 月ごと(一話ごと)に一つの話題を中心に数十ページで 完結する話が多く、1テーマの話に適度なボリュームが あって区切りよく楽しめて読める。 「あぶさん」の景浦が後々に指名代打や守備も やる選手へと進化?していったこともあり ある意味で後々に「代打にかける男」の代表漫画になったし、 男っぽい個性派選手がこれでもかと登場する、 面白くて熱くなれる野球漫画だった。 なんか各話のラストは牛島監督の決め顔と一喝で 終わるパターンがやたらと多かった気もするが(笑)。