兎来栄寿
9ヶ月前
伝説の作家・岩泉舞さんの新作が読める喜びに震えながら『七つの海』について語ってみた。
2021年3月2日、マンガファンにはとても嬉しいひとつのお報せが舞い込みました。 https://twitter.com/iwaizumi_planet/status/1366672576886444035?s=20 !? 復ッ 活ッ 岩泉舞さん復活ッッ 岩泉舞さん復活ッッ 岩泉舞さん復活ッッ 刹那、頭の中にヴィヴァルディ「春」が鳴り響き、枯れ果てた大地と鈍色にくすんだ空はみるみるその青さを取り戻し、蝶が舞い小鳥が囀り、大擂台賽が開催され、烈海王が大咆哮しました。 この驚きと喜びをどう表現すれば良いものでしょうか。 何と、1992年に短編集『七つの海』を1冊だけ刊行したのみでその後作品を発表されていなかった岩泉舞さんが、単行本未収録作品に加え新作も含む新たな作品集を『岩泉舞作品集 MY LITTLE PLANET』として5月28日に発売することが決定したそうです。 孫悟空が強敵たちと激闘を繰り広げ、桜木花道が湘北高校のバスケ部で躍動し、浦飯幽助が霊界探偵として活動していたころの『週刊少年ジャンプ』。それら看板作品の裏でひっそりと掲載された岩泉舞さんの読切は、ひときわ異彩を放ち不思議な読感を与えてくれました。 岩泉舞さんの才能は、当時から有識者たちにこぞって絶賛されていました。今回も、きたがわ翔さんのツイートが企画の発端となったそうです。 https://twitter.com/iwaizumi_planet/status/1366999282406944770?s=20 ふなつ一輝さん、成田良悟さん、緒方ていさんら数多くの作家の方々も当時を懐かしんでいました。私自身も、当時お小遣いを握りしめて買いに行った単行本を未だに大事にしています。本当に懐かしく嬉しいことです。 なお、この『七つの海』は、現在マンガ図書館Zで無料で全編読むことができます。以下ではネタバレもしていきますので、回避したい方はまず作品をお読みください。何なら以下のレビューは読まなくてもいいので、『七つの海』を読んでください。 2016年・2017年には、マンガ図書館Z上で岩泉舞さんから年賀状を送ってもらえるという企画も行われ、まだ画業を続けてらっしゃるということだけでも本当に嬉しかったのですが令和になってまさか完全新作まで読めるとは! 生きているといいことがあるなぁとしみじみ思います。 デビュー作「ふろん」 この短編集に収録されている作品の中でも、とりわけ特徴的なのはこの初投稿作品「ふろん」です。「ふろん」から始まるところが、この1冊を強く印象付ける要因にもなっていると感じます。「ふろん」は、ある日突然クラスメイトや先生、家族からも自分の名前を忘れられてしまった中学生の少年を描いた物語です。 同様の設定のストーリーは世の中に数多く存在します。ただ、そこは『週刊少年ジャンプ』ですから、普通であれば日常を脱して非日常に行った後また日常に戻ってくるのがお約束です。普通であれば。しかし、この「ふろん」は見た目こそ爽やかで軽やかなタッチでかわいい男女が描かれながら、そのお約束を容易く越えていきます。 名前を失った主人公は、小学3年生の時のクラスメイトであるナっちゃんの幽霊と出会い「脳みそがなくても脊髄反射で動く無頭がえる」に擬えられます。頭を取られても動くかえるは生きていると言えるのか。それと同様の自分は。名前を失ったときに残る自分と他者を区別するもの、自分らしさとは何なのか。今ここにいる自分は本当に自分と言えるものなのか。形而上学的な問い掛けがクリアな雰囲気の中でなされ、「人の心に住んでないなら死んだも同じよ」というヒロインのセリフと共に主人公は自らの生き様を後悔しながら現世からフェードアウトしていってしまいます。 夢と友情と努力と勝利の物語を浴びて育ったジャンプ読者に、いきなり浴びせ掛けられるバッドエンド。それは長年心にも残るというものですし、何ならここである種の「癖」を開発されて育った少年少女も多いのではないでしょうか。 岩泉舞さんの画風はジャンプというよりサンデーの系譜を感じさせられるのですが、「ふろん」における演出に関してはアフタヌーン的な要素も感じられます。この後の作品が「少年マンガ/ジャンプ的であること」を意識して描かれていることと、アクションも多くなるのに対して、ひたすら静謐なドラマが繰り広げられる内容はより際立っています。 岩泉舞さん自身の解説では「読み手のことを何も考えてない展開が、いかにも投稿作品」と評されています。「だがそれがいい」。それ故にエッジが鋭く、心に深く突き刺さる内容となっています。 「忘れっぽい鬼」、「たとえ火の中…」 田舎を舞台にした現代劇と、鎌倉時代を描いた歴史もので時代こそ違いますが、この2編を通して描かれるのは「鬼よりも人間の方こそがよほど鬼らしい」ということを通して描かれる「善悪」への疑義です。 きたがわ翔さんは、もし当時岩泉舞さんが連載を持てていたら『鬼滅の刃』のような作品を描いていたかもしれない、と語っていましたがまさにその通りだなと思います。「忘れっぽい鬼」で1歳の弟を自分の利益のために平然と殺そうとする少年とその父親の造形や、「たとえ火の中…」での出自による格差の描き方などには岩泉舞さんの作家性が非常によく現れています。 パッケージとしては少年マンガなのですが、その中にも普遍的なテーマへの眼差しが宿っており30年近く経っても決して色褪せない魅力が溢れています。 「七つの海」 子供のころ「大人になりたくない」「子供のままでいたい」と願ったことはないでしょうか。表題作である「七つの海」の主人公は、正にそんな風に願っている11歳の少年です。 のび太くんのように運動も勉強もできず、アトピーという自分でコントロールできない体質に悩んで過ごす一方、冒険の旅に憧れているごくありふれた少年。そんな彼と、彼の祖父の「童心」の部分が実体化した姿との交流を通して、思春期を迎える少年が大人へと成長していく中で訪れる内的な変化の端緒を非常に巧みに描いた作品となっています。 夢はあくまで夢であるということを認識し、現実と向かい合うことで着実に昇っていくありふれた大人への階段。もちろん、その先でだけ見られる景色もたくさんあります。しかし、その過程で失うもの、もう見られなくなってしまった景色もあります。まだ何者でもなく、故に何者にでもなりえる、ずっと無限の夢を見て夢想していられる子供でいたいという幼い願望がそっと閉じられる瞬間の言いようのない寂寥感。 子供のころに読んだ時は、主人公の大人になりたくないという気持ちに痛いほど共感していました。そのころに想像していたよりはずっと豊かで楽しく暮らす大人になれましたが、そのほろ苦さが大人になってから読んでも、いえ、むしろ大人になった今だからこそより強く沁みて堪りません。 10代前半ごろの思春期の繊細な感情の機微の描き方は、岩泉舞さんの卓越したセンスが解りやすく表出しているところです。これだけ描ける方なら、きっともっと沢山の素晴らしい物語も紡げるだろうと確信するに足る短編です。あのころは本当に岩泉舞さんの連載が読みたいと願っていました。 「COM COP」「COM COP2」 悪霊を聖剣で退治する幽霊課の刑事、という設定はまさしく少年マンガの王道であり「The ジャンプ」という感じです。ただ、そうした設定であっても人の心の在り方がドラマの主軸となっているところは岩泉舞さんらしい妙味です。 「COM COP」の締めに登場する「悲しい気持ちがやわらぐ時は…きっと遠くから誰かがぼく達を想ってるんだ 元気になれって…」というセリフの優しさが愛しいです。 そして、「COM COP」ではまだ赤ちゃんだった主人公の息子が「COM COP2」では8歳となり、小さな反抗期を迎えて描かれます。男手一人で育てられた息子は、ある日かつて自分の母親に悪霊が取り憑いてしまったせいで、父親の手で母親が殺められた事実を知ります。そして、息子の目から見れば母親を斬ったにも関わらず平気そうに生きている父親の姿に疑問符が浮かびます。 もちろん、父親は全然平気なはずもなく、それでも自分という存在を守るために平気なふりをしてずっと生きているのだということを知ります。 この、大人であることの苦しさと強さを知ることで少し成長する少年の描き方も本当に絶妙なんですよね。そして、やはり大人になってから再読することで思うところが多い物語でした。 余談ですが、「父ちゃんは大人だから平気でいられるのかもしれない 大人になればなんでも平気になれるほど強くなるのかもしれないけど 今のオレは平気になんかになれない」というセリフは今読むと炭治郎の「俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」を彷彿とさせました。こんなところも通底するものがあるのだな、と。 「COM COP3」は『七つの海』には未収録だったのですが、今度発売する『岩泉舞作品集 MY LITTLE PLANET』にはめでたく収録されるようで、喜ばしい限りです。 同じく未収録であった「KING-キング-」、武論尊さん原作の「クリスマスプレゼント」、そして何よりタイトルからして岩泉舞さんらしい瑞々しさが溢れていることを想像させてくれる「MY LITTLE PLANET」、とても楽しみです。
岩泉舞作品集 MY LITTLE PLANET
岩泉舞
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わかる