愛がなくても喰ってゆけます。

出来れば愛も欲しいけれども

愛がなくても喰ってゆけます。 よしながふみ
名無し

グルメ漫画や食レポエッセイ漫画が好きで、 面白いと聞いたものは読まずにはいられなくなる。 けれど「愛がなくても喰ってゆけます。」は 存在を知ってもなかなか手をださなかった。 題名から、自分の好みのタイプの漫画では なさそうだと思ったから。 非モテ系の主人公がフラレ捲りながら 「食いものがうまけりゃいいのよ」 とヤケ喰いし捲る漫画なのかな~と。 自分がどちらかというとそういう系では あるだけに、身につまされそうな気分に なりそうな危険を感じたので。 実際の内容は、あながち外れてもいなかったが、 どちらかというと 「愛は欲しいがなるようにしかならんし」 みたいな感じだった。 友人知人関係にも恵まれているし、美味しい店に 一緒に行く仲間達もいる。 料理や会話を楽しく味わいながら想いを共有する。 だからといって恋が始まり成就するとは限らんのよね、 という感じの漫画だった。 もっとも全15話が全て、主人公・YながFみさんの 婚活的な話ではなく、単に友達と楽しく食事を するのが目的でお店に行く話とか、 他人の世話をやいたりコミュニケーション目的での 飲み食い話もある。 だが、そのほとんどで目的地には到達できなかったりする。 着地点がズレたりしてしまう。 どうもYながFみさんは、 恋愛成就とか他の目的の解決のための手段として 美味しいものを食べに行くのだが、 美味しいものを食べることに注力してしまって 本来の目的を忘れがち、あきらめがち(笑)。 なんかそういう 「人生ってままならないよねえ」 「でもまあ皆で美味しく楽しく食事が出来たし」 「まあ食べ物を美味しく味わえるうちはいいよね」 みたいな感じというか。 その感じがとても面白かった。 グルメ漫画や食レポ漫画、 とくに料理対決漫画なんかだと 「美味さが全てを解決」 みたいな話が多いから、 そういうグルメ漫画に食傷気味なときに読めば 心がホッと癒される?漫画だよな、と思った。

きのこ人間の結婚

菌類の惑星で恋の冒険!

きのこ人間の結婚 村山慶
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

菌類が独自の進化を遂げ、支配する惑星。知性の発達したきのこの「人間」は、基本単為生殖だが、時々交接による生殖をするつがいが現れる。 牧人族のアリアラと書記族のエリエラは、身分を越えた恋をして、結婚する。しかし、交接の相性や、エリエラへの王族の横恋慕などの問題から、牧人の里と王宮は混乱する。二人の行く末は……? ……というこの物語の世界は、かなり特殊だ。 惑星を支配する、きのこや黴といった「菌類」は、植物を醸しながら大地を覆い、その上できのこから進化した「人間」たちが生活している。 彼らの姿は私達「動物の」人間と酷似しているが、胸部をきのこの「つば」が覆い、下半身は「傘」がスカートの様に広がる。(必然的に?)乳房がある造形のきのこ人間たちは、雌雄の別があるようでいて、みんな女性的である。 恋人たちは「百合」の様相を呈しながら、あくまでも交接があり、さらに多数の者は単為生殖の為、恋心ゆえの行動が理解できないという、不思議なジェンダー観。 そのような中で、愛情を育んでしまったアリアラとエリエラ。彼女達が冒険の果てに辿り着く場所に思いを巡らせながら、まるで『風の谷のナウシカ』の「腐海」のような世界が、百科事典まで付けて詳細に描写されるのを、じっくりと堪能したい。 ----- こちらから試し読みページに飛べます。 http://webcomic.ohtabooks.com/kinoko/

あなたのアソコを見せてください

みることと、みられることと

あなたのアソコを見せてください いがらしみきお
影絵が趣味
影絵が趣味

2010年代という時代にひと区切りがついて、2020年代という新しい時代がはじまりましたが、この新時代を迎えるにあたって、ひとつ思ったことがあります。「2020年代は、なにかをつくるひとよりも、なにかをきちんとみることのできるひとを培っていかないと、そろそろまずいのではないかという気がしている」ということです。 技術が発達して、ものづくりへの敷居が下がって(発信することもふくめ)、ひと昔まえよりもかんたんにみてもらえるようになりました。それじたいは悪いことではないと思います。ただし、それと並行して、この供給過多の状態が、みることの株を暴落させてはいないかと不安に思うのです。‬ ‪つくることは、まあ、こういってしまえば(程度に差はあるにせよ)誰にでもできます。つくって、はい、できました、とすれば、あとは声をデカくしてみてもらえばいいだけの話です。それに比べると、みるというのは、けっして誰にでもできることではないと思います。しかも、技術が発達して、ものづくりへの敷居が下がっても、みることの困難さというのは依然としてまったく変わっていないと思うのです。‬ そんなことを思っていた矢先の、2010年代最後の年の瀬に「あなたのアソコを見せてください」なんていう、ただひたすらみることに焦点を当てたマンガが、しかも、いがらしみきおの手で描かれていたのには驚いたと同時に嬉しかったですね。なにしろ、ファンなので。このマンガ的にいうなれば、欲情の対象とでもいえましょうか。まあ、いがらしみきおさんとセックスはしたくないですけども。 欲情には少なくとも2種類あると思います。ひとつは生殖、すなわちセックスに結びつく欲情。もうひとつは純粋に対象を羨望するほうの欲情。いがらしみきおさんとセックスはしたくないけれど羨望の的とというのは、おそらく後者になると思います。火とアソコが結びついてしまったミコちゃんは、どちらかといえば前者。ロリくんは彼の言うことを信じるなら、後者ということになると思います。それでは、本当に惚れた相手とはセックスできなくなってしまうピンさんはどうなのか。ピンさんの女性の衣服にまつわるほうは前者かもしれませんが、セックスできなくなってしまう場合はどうなんでしょう。いがらしみきおとセックスはしたくない、とかいうのではなく、したい欲情はあるのに、できなくなってしまうんです。 まあ、とにかく欲情には色々な種類があるかと思います。でも、どの欲情にもひとつだけ共通して言えることがある。それは、欲情には本来的に、欲情される相手がいないということです。欲情それ自体はあくまでもこちらの側だけで起こっていることで、欲情される相手がいる場合というのは、単に欲情するというのを超えて相手に働きかけているんです(A:わたしはあなたを欲しています。B:それは嬉しいです。)。なので、欲情というのはきわめて個人的な営みなんですね。孤独な営みといってもいいかもしれません。 そうなんです。このマンガの登場人物はみんな孤独に欲情を実践している。なにしろ、彼らにおけるそれらは、誰かにみられて褒められるどころか、おぞましいと蔑まれる行為ばかりです。何の見返りもありはしない。それは自分"だけ"のもので、誰かが代わりにその渇望を満たしてくれるなんてことはありえないんです。 2020年代、ひとはますますみられることに慣れ、みられることに満足を憶えることになるでしょう。でも、それって、当たり前のことですが、みてくれるひとがいないとはじまりません。まあ、仮にみてくれるひとがいたとして、はたしてそれで本当に満足できるのか。おそらく、きっと、本当の意味でみられないことには満足しないと思うんです。じゃあ、本当の意味でみてくれるひと、欲情してくれるひと、羨望してくれるひととはいったいどういうひとなのか。あるいは、どうして本当に好きな相手とはセックスができないのか。そして、必ずしもお互いのことを見合っていないふたり(実にすれちがったセックスでしたね)が最後に笑い合えたのはどうしてなのか。そろそろ何か答えのようなものがみえてきそうではありませんか。

わんぱくTRIPPER

サガノヘルマーは、今、どこにいるのだろう。

わんぱくTRIPPER サガノヘルマー
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

…って、別にググればいくらでも現在のサガノヘルマー情報は出てくるのですがね。 しかし、どんなにググって「知識」を得ても、この奇才の掲載当時の衝撃度は、知らない人にはたぶん推測することもできないのです。 かつてヤンマガ本誌で、つまり、日本中のコンビニで誰でもごくごく手軽に買える媒体で、常軌を逸したエロとグロをまき散らしまくっていた異形の奇才が、今はほぼ忘れられてしまっているのに茫然とする。 このマンバでも、作品一覧に『BLACK BRAIN』がないのだから。ヤンマガで連載して単行本10巻とか出していたのに…。 まあ、それもしょうがないのか。 ヒドい(=凄い)漫画家だもんなあ。 今じゃあ絶対、一般誌に載せられないよなあ。ホントにヒドい(=凄い)もんなあ。 『わんぱくTRIPPER』は、サガノヘルマーのデビュー作です。 さすがにデビュー作だけあって、その資質が全開です。作者も編集部も、ほぼコントロールできてないです。ヒドい(=凄い)です。個人的には、ブラブレや後年の成年誌発表作より、イっちゃってると思います。 素晴らしいです。 駕籠真太郎とかがお好きなかたは、ぜひ。 これが、日本中で若者が読んでいた雑誌に載っていた時代があったんだなあ。 「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない」 ポール・ニザン まあ、少なくとも毎週サガノヘルマーを読んでたのが二十歳頃だったら、そりゃあ美しくはないよなあ。ヒドい(=凄い)よなあ。

赤い文化住宅の初子

薄幸の少女、初子の報われない青春。

赤い文化住宅の初子 松田洋子
nyae
nyae

親がおらず貧乏で高校進学もできない環境に置かれながらも懸命に生きる初子。 幼い頃に父親が借金を残して蒸発、母親も他界。兄とふたり暮らし。兄も、妹想いではあるが貧しさに心が荒んでいる。 初子にとっての心の支えは兄ともうひとり、クラスメイトで交際相手の三島くん。かつては彼と同じ高校に進学するつもりだったが、アルバイト先からも十分な給与をもらえず、進学を諦めるしかなくなる。 初子の周りにはどうしようもなく薄情な大人ばかり。 まともに仕事をしない担任や、弱った初子を介抱するついでに宗教に勧誘するおばさん。最終的には、蒸発した父親が浮浪者になって戻ってくる。 最後の最後までとにかく報われない初子だけど、ほんの一握りの希望を捨てずに健気に生きる初子の姿には色んな感情が混ざり、泣ける。 ちなみに、この作品は実写映画化されており、当時原作のことは何も知らずに観に行っている。まあ面白かったという記憶はあるが、キャストの顔とか名前、内容もほぼすべて覚えておらず、原作を読んでも何も思い起こされなかった。 同じく掲載されている、工場の息子が主役の話はまた雰囲気がガラッと変わって読み応えがあった。広島弁ていいな。