足利義昭……室町十五代将軍として無理矢理担がれ、織田信長に翻弄され、姑息に諸大名を動かそうとしながら尽く裏切られた将軍として、織田信長や明智光秀の物語では情けなく描かれる人物。 その基本路線は、この作品でも踏襲されている。ただ他と違うのは、この物語が足利義昭の立場に立っているという点。たったそれだけのことで、義昭にあっさりと感情移入できてしまうのは、描かれた彼の心情に「勝者ではない」私達に響く普遍性があるからだろう。 一握りの勝利からこぼれ落ちた私達に必要なのは、敗者の物語……敗戦後を充実して生きるための指針なのだ、と作者は宣言し、どこまでも英雄とはかけ離れた義昭の、出立から敗走後の人生までを、現在と過去を行き来しながら辿る。 何しろ義昭は、状況に翻弄されすぎる。将軍にならなければ死ぬ他ないという、究極の選択。その中で必死に立ち回るうち、したたかに、しかし次第に狂気を伴って、小物ながらそれなりの人物になっていく物語は、同様に小物である私達に消えない爪痕を残してゆく。その敗北に塗れて歪んだ人生も、覚悟を決めて駆け抜けた義昭には上々だったのだろうかと、考えさせられる。 義昭の最期と作者の旅の終点には、お仕着せの感動の代わりに、淡々とした感傷がある。