完結したマンガの感想・レビュー16048件<<514515516517518>>とてつもなく心地良い箱庭世界日々にパノラマ 竹本泉名無しよく言われるネタではありますが、私も学生時代に竹本泉が男か女か問題で友人と喧嘩しました。「こんな可愛い作品を描く人が女性じゃないなら…俺はもう何を信じたらいいかわからない…」と言っていた友人は、今でも独身です。 確かに、竹本泉先生が描く絵は可愛らしく、ストーリーものほほんとしたものばかり。だけど少女漫画のような乙女チックすぎて引いてしまうこともなしし、オタク系漫画のような萌えすぎて引いてしまうこともない、オトナになりきれないオトコへの絶妙な浸透圧がある気がします。 『日々にパノラマ』は竹本泉作品でもよく登場する、火山島が舞台。一応、東京の一部という設定です。一応の主人公は小南智尋という中学生の女の子。彼女が塔上洋太や転入してきた大原深海(ふかみ)たちと、浜で泳いだり、ボートにのったり、イルカと遊んだり、島の遺跡をめぐったり、台風にあったり、うじゃうじゃしたり。恋愛要素もなくはないですが、とても薄っすらとしています。 誤解を恐れずに言えば、これだけストーリーのない作品もないのです(竹本泉作品は全てそうですが)。なにかのイベントがあって物語が動くのではなく、箱庭世界をただのぞくような、そんな感じです。その箱庭世界がとてつもなく心地良いのです。ある意味ゲームの『ザ・シムズ』に近いような気がします、キャラクターを含めた世界観がしっかりと存在していて、キャラクターの目線で語られる様々な日常が、確実に俺を癒やすのです。いうなれば、仕立て職人版の『美味しんぼ』といったところ王様の仕立て屋~サルト・フィニート~ 大河原遁名無し普段から、多浪生と見間違えられるほどしょぼくれた格好をしていても、特にとがめられない仕事についている為か、梅雨や真夏のスーツの苦しみを味合わずに済んでいます。ただ、スーツ姿の同級生と出会うとあまりの見栄えの違いに居心地が悪さを感じてしまう30代。彼らにはもう、嫁も子どももいるのですよ! そんなサラリーマンの戦闘服・スーツをテーマにした漫画が『王様の仕立て屋~サルト・フィニート~』です。ナポリ伝説の職人で“ミケランジェロ”とも称された故マリオ・サントリヨ唯一の弟子・織部悠が、様々なトラブルを抱えた依頼人の悩みを、その卓越した腕で解決しいくオムニバス作品。いうなれば、仕立て職人版の『美味しんぼ』といったところ。仕立ての知識はもちろん、時計や靴といった服飾の知識、同じヨーロッパ圏ということで一緒くたにしがちな、イタリア、フランス、イギリスのスーツに対する考え方の違い、さらにはヨーロッパ文化と日本文化の差異にまで話は広がり、知識欲を多いに満足させてくれます。スーツが話の柱と聞いて、正直、長い連載にならないと思っていました。ネタがすぐに無くなってしまうだろうと思っていたからです。それが『王様の仕立て屋』は、今連載中のシリーズ『王様の仕立て屋~サルトリア・ナポレターナ~』と合わせるとすでに35冊以上にもなる長期連載になっているのです。 それはもちろん、仕立てというジャンルの奥深さがそうさせるのでしょうが、魅力的なキャラクターに依るところ部分も多いと思います。ちょっと老成してる悠の周りには、変わったキャラクターが数多くいます。中でも女社長ユーリア率いるカジュアルブランド・ジラソーレ社はどこを見ても(一癖ある)美女ばかり。往々にして彼女らに流されて巻き込まれてゆく悠に若干の嫉妬を感じます。名言や歌を用いた細かなネタに、細かに挿入されるギャグがリズム感を生んで、長いウンチク部分も冗長にならずあれよあれよと読み進められる、稀有な作品だと思います。 この漫画のお陰でコーデュロイやビキューナ(超高級素材。Amazonで調べたら掛け布団が800万円を超えていた!)、とこれまでの生活では全く知る由もなかったスーツの世界を垣間見ることができました。ただ、それを実践するのには気が遠くなるほどの金額が必要なのです…。「これしかない人生」を歩む神々の山嶺 谷口ジロー 夢枕獏名無し僕の地元・長野県には、中学校集団登山という拷問のようなイベントがありました。一学年240人がみんなで3000m級の山に挑むという荒行です。しかも、登る予定の山で起きた遭難事故を描いた新田次郎の「聖職の碑」の映画版を見せられるという、嫌がらせとしか言いようのないオマケもついていました。とはいえ、このイベントで山に目覚めた人もいないわけではなく、それなりに意味のある行事な気もします。僕は下山中に便意に襲われ、6時間死ぬ思いで我慢するという、これまでの人生で一番の苦行を味わったので、二度と山には登らないと決めています。 とはいえ、山ものの作品を読むと、山もいいかもしれないと思ってしまうのです。『神々の山嶺』は数多い名作を生み出し、海外でも評価の高い谷口ジローのまさに最高峰だと思っております。 『神々の山嶺』には羽生丈二という一人のクライマーの姿が、カメラマンの深町誠の視点から描かれます。 この羽生丈二、初登場シーンから圧倒されます。「その時…むっと獣の臭いが店内にたちこめたような気がした」。この存在感がどこからくるのか、深町は彼の過去を調べていくのです。 羽生を関係してきた様々な人に取材していくうちに、彼の孤高としか言いようのない半生が明らかになっていきます。 羽生は可愛げのない、根性はあっても鈍重で無口な男でしたが、クライマーとしては抜群の才能を発揮。しかし、全てを山に集中する羽生は、普通の生活を送る人間と温度差がうまれ、山岳会でも孤立していきます。誰もが登れなかった壁を登り、山岳界の話題をさらうものの、羽生自信は不遇のまま。海外の山に挑戦することができません。 誰よりも山を想っているのに資金や人脈や名声がないだけで、挑戦できない苦しみを味わい、自分を慕う人間の死があり、やがて羽生は自分から孤立していきます。そして消息を断った羽生がなぜカトマンズにいたのか?彼がなにをしようとするのか、物語は加速していきます。 羽生の姿は、新田次郎の小説ではないですが、まさに「孤高の人」なのです。孤高の人は、人の共感は求めません。自分でも言葉にできない衝動に突き動かされるまま、「これしかない人生」を送るのです。 羽生はいいます「いいか。山屋は山に登るから山屋なんだ。だから山屋の羽生丈二は山に登るんだ!!」また、なぜ山に登るのかという問にこう答えます。「そこに山があったからじゃない。ここにおれがいるからだ」 「これしかない人生」を送る男の寂しさと美しが同時に描かれ、僕もこのような生き方に強く憧れるのです。 いや、既に僕は僕にとっての「これしかない人生」を歩んでいるかもしれない。この、マンガとゲームにあふれた人生は。連綿と連なる歴史風雲児たち みなもと太郎名無し中学時代、あまりに田舎すぎてエロ本を入手できなかった私は、思い余って図書館で林美一先生の春本解説本に手をだしました。そこには「好色一代男」など有名作品はもちろん、もうタイトルも思い出せないたくさんの作品が紹介されていました。その中で、ひとつだけ『長枕褥合戦』という作品は覚えています。たしか、北条政子と弓削道鏡の血を引く男があれやこれやする話だったように思いますが、この作者が実は平賀源内だったと知ったときはたいそう驚きました。江戸時代にエレキテルを発明して見世物にした、色物親父ではなくて、本物のイロモノ親父だったとは…。もちろん平賀源内の功績はそれだけではありません。多才な平賀源内の具体的な人物像を知ったのが『風雲児たち』です。 『風雲児たち』の連載開始は1979年で、30年たった今も続いています。当初は幕末だけを描くはずだったのが、幕末にいたる様々な伏線を根っこをちゃんと描くため関ヶ原の戦いからはじめたという経緯があります。その結果、260年以上におよぶ江戸時代の通史に『風雲児たち』はなったのです。 そこには教科書の味も素っ気もない、のっぺりした記述では知りえなかった数多くの魅力的なキャラクターが登場しています。保科正之、田沼意次、高山彦九郎、江川太郎左衛門英龍などなど、枚挙に暇がないというのはまさにこのこと。 彼らが魅力的なのは、信念をもっている人間として描かれているからです。その信念が、個人的ものであれ社会的なものであれ、こうしたいという信念をもち、抗う姿に心が動かされるのです。江戸幕府という、全体としては250年以上も続く安定した社会には、細部では様々な矛盾や齟齬や一部の人間の犠牲がありました。変化をとてもいやがる社会の目を気にせず彼らは彼らが思う最善を尽くす…。そのような“風雲児”が描かれた物語が面白く無いはずがありません。 連綿と連なる風雲児を追っていくことで知らず知らずに江戸時代の歴史の“流れ”がわかる。そういった稀有な作品なのです。 「孫で、娘で、母で、祖母で、友人で、恋人」という意味を知る物語私の神様 夢野つくし兎来栄寿設定がどうしようもない切なさを滲み出させる、秀逸な作品です。普通の愛の枠組みを超えより広範で様々なものが入り混じった何かしら新しい名前で呼ぶべき感情…… 正にエモさの極み! 積もりに積もった巨きな感情を内に秘めながら紡がれる穏やかで優しい日常風景がまた堪りません。 本当に伝えたいことは決して伝えられないもどかしさに喘ぎながら、それでも愛おしみたい大切な大切な時間をいつまでも眺めていたいです。 表紙から想像されるようなただのおねショタではありません。魂の叫びが聞こえるマンガを描いてきた作者の半生父のなくしもの 松田洋子兎来栄寿人生の不条理に晒されながらも必死に生きる人間の姿、心揺さぶる物語を心身・魂をも削るような筆致で描き続けて来た松田洋子さん。 「こんな作品群を描く松田洋子さんは一体どんな人生を歩んでこられたのだろう」と常々思っていたのですが、その答がこの自伝マンガに描かれていました。 タイトル通り中心として描かれるのは父。そして娘から見た父親を中心に、ひとつの家族のリアルな生き様が叙情性豊かに綴られています。 家族との関係性、仕事や対人関係のトラブル、生活の変化、家族に起こる異変……様々なパートのどこかしらは読者個々人の体験に重なり複雑な想いに駆られるのではないでしょうか。 端的に言って私は気付いたら涙していましたし、痛切なあとがきを読んで更にもう一度涙を流しました。深い深い想いの込められた作品で、読んだ後は大切な人を今まで以上に大切にしたくなります。 松田洋子さんはもっともっと読まれてもっともっと評価されるべき作家です。ちばあきお漫画を動揺させる御馳走という存在プレイボール ちばあきお影絵が趣味夏の甲子園の県予選がはじまっているので、性懲りもなく『プレイボール』を読み返している。 語弊を恐れずにいえば、ちばあきお漫画の魅力は味気のなさにあると思う。野球に熱心すぎるあまり、ひたむきすぎるあまり、本気で打ち込むあまりの味気のなさである。「勝利の味をしめる」という言葉があるが、『キャプテン』にしても『プレイボール』にしても、負け試合はもちろんのこと勝ち試合においてもどこか苦い雰囲気が拭えないのである。『キャプテン』のイガラシ時代の夏の決勝戦、西の強豪・和合中との雨の決戦はどうだったか、全国制覇を成し遂げたというのに不思議なまでのあの味気のなさは。 ところが、そんな試合に勝ってまで味気のないちばあきお漫画において、奇妙に味気のある数コマがおよそ一巻に一度ぐらい落とし穴のように潜んでいる。それすなわち御馳走の時間である。 田所先輩の代こそは元々が弛んでいるので、まだ御馳走はみられないが、まさしく田所先輩たちが引退して谷口が次のキャプテンに指名される日から落とし穴のような御馳走がひっそりと潜んでいる。薄汚い部室にテーブルを囲い、それぞれの席には簡易的ながら紙のナプキンが敷かれて、その上に可愛らしくお菓子やフルーツやジュースの瓶が乗っている。野球一筋のこのマンガにおいて、なんと奇妙で戦慄さえ憶えかねない一コマであることだろう、淡々とただひたすら野球に打ち込むばかりのコマの連なりのなかで不意に挿入されるこの紙ナプキンの上の御馳走たちはスリリングとさえいえないか。 この送別会の御馳走を先がけに、新入生の歓迎会ではふたたび囲んだテーブルに紙ナプキンが敷かれて、出前の兄ちゃんが蓋付きのカツ丼を運んでくる。大会の谷の日には田所さんが激励にアイスクリームを紙袋にたくさん詰めてもってくるし、鰻丼かと思いきやカツ丼の上を御馳走してくれるし、熱戦の翌日の休養日には丸井が谷口家を訪ねるさいのお土産として鯛焼きを持参して、しかもそれらは丁寧に紙の上にあけられる。そして極みつけにはOB会の発足パーティー、またしても薄汚い部室にてテーブルを囲み、もはや簡易的な紙ナプキンではなくテーブルクロスが敷かれ、御馳走に加えて瓶ビールまでが用意され、スリリングはさらに加速する。ここで注目したいのはこれらが単なる食事ではなく、それ以上に丁寧に格式張っているということにある。ちばあきお的マンガ世界において、彼ら野球少年たちは基本的には野球という社会のなかに閉じた存在である。その閉じた世界に不意に出現するイロモノめいた別の社会(すなわち御馳走という格式)はあまりに滑稽であり、その場を動揺させずにはいられない。しかも、その御馳走が部活の聖地ともいうべき部室にひろげられたさいには事尚更である。 味気のないちばあきおマンガが不意に彩りをみせるとき、その場は途端にスリリングに動揺しはじめ、物語に緩急と躍動とをもたらしているらしい。 絶妙に良いとしか言えない居酒屋舌偵 土山しげるstarstarstarstarstar_borderマンガトリツカレ男読めばわかる絶妙な力の抜け具合の漫画と言えば良いのか。「すごい面白いか」と言われるとそうでもない。「面白くないか」と言われるという「いや面白いぞ」という絶妙な感じがいい。あらすじの「料理のウンチクと人情の機微が程よくブレンドされた痛快探偵ストーリー」の通りの内容だった ある意味ライト文芸的萌え系ジュブナイルとして王道を行っている打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? 楓月誠 岩井俊二 「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」製作委員会mampuku 読解力と想像力を働かせることにより、2倍にも3倍にも面白くなる作品でした。1993年に放送された岩井俊二監督のテレビドラマを原作としたアニメーション映画をさらにコミック化したものです。コミックも悪くない出来ですがやはり映画を忠実になぞっているだけなので映画観るべきですね。 化物語の制作陣やDAOKO、米津玄師らによる主題歌などからターゲット層がなんとなく伺い知れますが、どっこい中身はかなり玄人向け。よく比較される「君の名は。」含む新海誠作品にも言えることですが、ある程度映画や小説を読み慣れてないと複雑なストーリーと情報量をアタマで処理しきれない恐れがあります。クライマックスからラストシーンまでの流れなんかは特に超不親切(笑) でも自分なりに読み解けたときには切なさでボロボロ泣けるのでぜひ"まとめサイト"などでカンニングせず自力で楽しんでほしいです。グリム童話の主役たちが魔女の呪いをめぐりバトル呪菓のグレーテル 神谷ユウmampuku「ヒロインズゲーム」と同じく、童話の主人公たちが登場するファンタジーです。 「魔女の呪い」をめぐる血塗られた戦いが巻き起こりますが、「ヒロインズゲーム」と違って少年漫画だけあってコミカルで親しみやすい感じです。 史実あるいは神話をモチーフにした話は多いですが、メルヘン童話を元ネタにした漫画ってあまり多くない印象を受けます。日本人にしてみれば聖書や北欧神話と比べたら赤ずきんやヘンゼルとグレーテルのほうがよほど親しみがあると思うのですが、、昔話の桃太郎や史実の信長みたいな英傑が出てくる話のほうがバトル漫画に仕立てやすいからなのか… 「ヒロインズゲーム」も「呪菓のグレーテル」も好きですが、グリム童話の雰囲気を活かしやすい頭脳戦やホラーといったジャンルに仕立てたものも今後読んでみたいです。 とにかく優しい小村くん好きな子がめがねを忘れた 藤近小梅starstarstarstarstarnyae頻繁にメガネを忘れてしまう女の子・三重さんのことが大大大好きな男の子・小村くんのラブコメ。 三重さんは、裸眼だと教科書の文字も極限まで近づかないと見れないほど絶望的に目が悪い。 三重さんのフォローに毎日一生懸命な小村くんに、三重さんも絶大な信頼を置いてます。 見えないせいで何かにつけて物理的距離が近くなるので小村くんは気が気ではない。三重さんの無自覚な天然女子なところがまた小村くんを余計に翻弄する! ただあらすじの通り小村くんはヘタレなのですが、とても素直で優しい子です。 変な下心もないし、「好き」が前面に出ちゃってるところが推せます! そんな小村くんがすこしキモくなっちゃったこの場面がお気に入り。(眼鏡を忘れて外出しちゃった三重さんに呼び出されて、手を繋いで目的地に連れてってあげたシーン)大食いで人は感動させられる大食い甲子園 土山しげる名無し「最近全然たべれなくなってさー 3杯しか食べられないよ」と嬉しそうに大量の飯をかきこむ友人がいます。これは明らかに、『本調子であればもっと食べれるが、調子が悪いので君たちの3倍しか食べれないんだよ』という、謙遜を装った示威行為なのです。野生動物でも、誰が一番えらいのかの順位付けは重要です。 人間の男性集団ではしばしば、大食いが偉さを図る尺度となるのです。大食いはマッチョなんですよ! そんな“大食い”を漫画に取り入れたのは、なんといっても土山しげる先生です。代表作『喰いしん坊!』では、フードファイターとよばれる大食い人間たちが、プライドをかけて戦うという、あまりにも斬新な設定で、食が細くなった中年男性の胸を焼けさせました。今回紹介する『大食い甲子園』は、このフードファイターの世界観をさらに追及した作品です。読んで時のごとく、大食いの甲子園を目指す高校生たちの物語なのです。 舞台は岡山の桃太郎高校大食い部。15年前に全国優勝したものの、いまでは弱小校になってしまい、廃部の危機を迎えています。ここに、将来を嘱望されながらも賭け大食いがばれて“大食い界”から姿を消した盛山空太郎が監督としてやってくるところから物語がはじまります。 それまでは、ただガムシャラに食べることしかしてこなかった桃太郎高校大食い部の面々に、盛山は理論的かつ実践的な方法を教え、大食い部は一丸となって甲子園を目指していくのです。 物語全体は、さわやかな青春スポーツ漫画のノリです。「乱食いはじめ」の声とともにはじまる練習シーンも素敵です。部員がただひたすらにむしゃむしゃご飯を食べるこの乱食いは、おそらく柔道の乱取りをイメージした言葉なのでしょう。一週間かけて精神と胃を鍛える合宿でひたむきに努力する姿もとても美しい。ただ、その打ち込むものが“大食い”ということで、なんともいえない雰囲気になるのです。 大きな“胃力”があり、才能あふれる早味はいいます。「大食いなんてただ食ってりゃいいんだと思っていた…他のスポーツと同じように作戦があるなんてこれっぽっちも思ってなかった…そして…大食いで人を感動させられる事も…」そ、そうなのか?と、思わず突っ込みたくなります。 この、さわやか青春マンガのノリと、抑えがたいツッコミへの欲求があわさると、なんとも言えない高揚感が生まれ、気づくと次へ次へとページをめくってしまうのが『大食い甲子園』の魅力。 もう食が細くなってしまい、大食いでアピールできなくなってしまった僕は、読み終わるとやっぱり胸が焼けてしまうのです。名人に憧れた普通の青年が落語という世界で自分だけの道を探しだそうとする物語どうらく息子 尾瀬あきら名無し趣味ってのはなんでもそうだと思いますが、身近に先達がいないとなかなか身につきません。誰かが順序よく教えてくれないと、途中でイヤになってしまうのですね。それ以前に、どこから入っていいかわからず手を出せなくなってしまったり…。私が今、手を出そうか躊躇しているのは、Jazz、競輪、そして落語です。 『どうらく息子』は落語家の漫画です。落語を題材とした漫画といえば私の中では『寄席芸人伝』(古谷三敏)が永遠の金字塔であります。『寄席芸人伝』には名人と呼ばれた落語家達の、人間模様が描かれていました。彼ら名人は皆、自分だけの道を探しだし、その道を歩んでいきます。『どうらく息子』で描かれるのは、名人に憧れた普通の青年が落語という世界で自分だけの道を探しだそうとする物語です。 主人公・翔太は親戚の幼稚園でバイトする青年です。どうしたら子どもたちは笑ってくれるだろうか、どうしたら自分の話に引き込めるかを考えていた翔太は、人に進められるまま入った寄席で惜春亭銅楽の「時そば」を観ることに。まるでそこにそばがあるような銅楽の芸にのめり込んだ翔太は、銅楽の弟子になろうと、強く思い始めます…。 やがて、銅楽の弟子になり、銅ら壱という名前をもらった翔太の、金ない、ひまない前座の生活がはじまります。先輩方の生き方を見ながら、少しずつ銅ら壱は落語家としての道を歩んでいくのです。 『どうらく息子』は落語のシーンも魅力的です。落語のシーンは作中作として、登場人物が熊さんや与太郎として登場します。3巻の「牛ほめ」のちょっと抜けた与太郎は、まだまだ駆け出しの銅ら壱が登場しますが、その時の銅ら壱の状況とあわさって、なるほどなあと感じます。 私が特に心に残っているのは10巻で描かれる『紺屋高尾』。とても美しい話です。紆余曲折がありながら、二ツ目に昇進が決まった銅ら壱は、『紺屋高尾』という廓噺をものにしようとします。花魁と紺屋の職人の身分違いの恋の話ですが、花魁の了見がわからず苦戦します。しかし、時間をかけ、自身の恋愛も交えていくうちにだんだんと形を出来てきます。そして初見世。熱演する銅ら壱を象徴するように、シリアスに描かれる『紺屋高尾」の物語。そして、美しいクライマックスの後、舞台のシーンが一瞬交錯しそのままラストに…。 読み終わったあともしばらく余韻が残ります。 読みやすくなってる二匹目の金魚 panpanya名無し日常からのずらし具合がちょうど良く、読みやすくなったように思う。「かくれんぼの心得」「通学路のたしなみ」「海の閉じ方」あたりが好き。猫の登場によって物語が動き出す。猫で人魚を釣る話 菅原亮きんアファームドB不器用な二人のラヴストーリーが猫をきっかけに動き出す。 ヒロインが色々な表情を見せるようになったり、主人公が行動を起こしたり、逆に話の流れを遮ったり、と。 マンガでしかできない魅せ方が非常に巧く、面白いのもこの作品の特徴。個性的なコマの使い方、ページの使い方をする。それがまた作品に良く合う。 上質のラヴストーリー、名作であり、尚且つマンガという媒体の良さを引き出して、見せてくれた良作。 一度はJIN-GI 御免! 所十三のーりー 人生一度は読むべき。 仲間、生き方、台詞、男が男である理由が分かる。漢の教科書! ゆとりも団塊も関係ねぇ! これを読めば答えがある!! 昭和リアルワンピース! 子馬の歌と絵がいいちびまる子ちゃん―わたしの好きな歌― さくらももこ名無し映画は観て感動した記憶があるのですが漫画は読んでなかったと思い、読んでみました。 どんなに家族に否定されてもお姉さんと会うことを絶対にやめない、まる子の頑固でまっすぐなところがよく出てますね。 ただお姉さんの彼氏が一方的に北海道で働くと決めちゃったのは普通に横暴だと思いました。まるちゃんも彼氏側についてたけど、イラストレーターとして一人前になるには東京に住んだほうが絶対にいいじゃん、この時代だったら特に。 とかその辺を気にしてしまいました。自分が大人になったと実感ハカイジュウ 本田真吾nemuke私は当時は確か中学生くらいでした。 その時は友達とグロテスクとか非現実というだけで面白おかしく読んでいましたが、それから9年が経ち久々に読み返すと、面白いとか興奮が薄れ「こうなりたくない」という不安と恐怖が強く感じるようになっていました。 危機的状況による人物の心理や理性などがリアルに痛々しく描写されていて、ゾクゾクしながら読んでいました。 「スリルを感じたい」&「非現実の世界に飛び込みたい」 と思っている人は是非!漫画アクションには神風が吹く!!ルーザーズ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~ 吉本浩二名無し※ネタバレを含むクチコミです。 愛が詰まっている……男子高校生を養いたいお姉さんの話 英貴大トロ男子高校生にもなりたいし、男子高校生を養うお姉さんにもなりたいです。わかるのよ、冷蔵庫を見ればね冷蔵庫探偵 佐藤いづみ 遠藤彩見名無しまさかの冷蔵庫から問題となった事柄を見破り解決する! 探偵っぽくないのに足跡を辿るように分析する様はちゃんと探偵です。 人間は食べ物で出来ているので理屈としては頷けます。それでもほのぼのとした気持ちになってしまう不思議な漫画。 一味違った事件解決漫画を探されてる方にオススメです 少女マンガ好きには絶対見逃してほしくない作品青に、ふれる。 鈴木望名無し見た目にコンプレックスを持つキャラクターって、マンガでは結構登場すると思うんです。でも、そういう作品を読んだ時、こんなふうに思ったことはありませんか? 「いやこの子充分可愛いやん」 マンガとして表現する以上、キャラクターを必要以上に醜く描くことは様々なハードルがあり、結果として、「美人ではないけどそこまで自ら卑下するような容姿ではない」造形になり、キャラの持つコンプレックスの部分の信憑性を下げる形となってしまうことが往々にしてあると思います。 それを「キャラの見た目を醜く描く」以外の方法で表現することで解消した作品がこの「青に、ふれる。」という作品です。 主人公の瑠璃子は生まれつき"太田母斑"という顔に大きな青いアザを持っています。彼女自身は一見普通に高校生活を送れているように見えますが、中学時代の出来事の影響もあり、アザのことが心の奥深くにコンプレックスとして根差しています。それが新任教師・神田との出会いによって大きく発露してしまうところから物語が転がっていきます。 この、誰が見ても明らかなコンプレックスを持ちながら日常生活ではそれを見せないように振る舞う瑠璃子の姿には自然と胸を打たれます。また、彼女と相対することになる神田先生にも"相貌失認"という、人の顔を判別する事ができない症状があり、「顔が判別できない=瑠璃子のアザを認識することができない」というところから、2人の関係性を深めていくというストーリーの巧みさも兼ね備えています。 何より、ともすれば重くなりすぎそうなこの設定を抱えながら、ちゃんと"少女マンガ"をしてるのが凄い!神田先生に少しずつ惹かれていく瑠璃子は、それこそ普通に先生の天然の褒め言葉に照れたりするし、先生を傷つけないよう虚勢も張るし、他の女性の影に嫉妬したりもする。"太田母斑""相貌失認"の要素は物語の中に組み込まれているけど、それに頼らない形でちゃんとキュンとさせてくれる。連載誌が青年誌である月刊アクションなのでもしかしたら少女マンガ好きが見逃してしまってるかもしれませんが、「さよならミニスカート」がりぼんの読者層を越えて話題になったように、この作品も特に少女マンガ好きにはマストで読んでもらいたい、そんな作品です。 1巻まで読了。 誰もが悩みを抱えながら生きているカラーレスガール 白野ほなみsogor25主人公のアオイは傍から見れば美人の美大生、しかし実は自分に自信がなく、我が身を取り繕う皮として女装をする男性であった。女装することで自らの内面を包み隠し他人と関わることが出来ていたアオイが、美大の中で友人たちと心を通わせる内に、化粧と服装で覆った内側の自分自身と向き合っていく物語。主人公視点でいうと「着たい服がある」などが近しい作品かもしれない。 しかしながらこの作品は主人公アオイの視点だけではなく、アオイの友人、またその友人と視点主を移しながら進んでいく。そしてその誰もが何かしらの悩みを抱えていて、その悩みを他者との関わりの中で少しずつ解消していく。 登場人物の悩みはアオイのようにジェンダーに関連の深いものもあれば、純粋な将来への不安や恋愛関係など様々。ジェンダーに悩みを抱える登場人物の物語は最近増えてきているが、表現の仕方によっては作品の中の人物と"当事者"ではない読者との間に距離が生まれ、どこか別の世界の物語を見ているような感覚を覚えることがある。しかし、この作品はより読者にも身近な悩みを持つキャラクターも織り交ぜながら描くことによって、本来読者が知り得ない悩みを持つアオイのような登場人物にも親近感を持って触れることができる。 また、本来"多様性"の塊のような空間である美大を舞台にすることで、その"多様性"の中でも色々な悩みを抱えながら日々の生活を送るアオイたちに共感しやすくなっている。 先に挙げた「着たい服がある」や「コンプレックス・エイジ」、もしくは「青のフラッグ」のような群像劇の要素も含んだ物語が好きな方にはオススメしたい作品。 2巻まで読了。「昔」が詰まってるイエスタデイをうたって 冬目景名無しバンダナ、丸いちゃぶ台、ピアスの代わりに安全ピン、タバコ… 昔が詰まってる! 大学前後に戻りてぇと思えてくる漫画 日常なんだけどドラマがある 恋愛感情の機微な部分を男性主人公で書かれるといい意味であっさり、天の目線で見れる感じがして好きです。 暇なときにじっくり読みたい漫画なんですよね、これ <<514515516517518>>
よく言われるネタではありますが、私も学生時代に竹本泉が男か女か問題で友人と喧嘩しました。「こんな可愛い作品を描く人が女性じゃないなら…俺はもう何を信じたらいいかわからない…」と言っていた友人は、今でも独身です。 確かに、竹本泉先生が描く絵は可愛らしく、ストーリーものほほんとしたものばかり。だけど少女漫画のような乙女チックすぎて引いてしまうこともなしし、オタク系漫画のような萌えすぎて引いてしまうこともない、オトナになりきれないオトコへの絶妙な浸透圧がある気がします。 『日々にパノラマ』は竹本泉作品でもよく登場する、火山島が舞台。一応、東京の一部という設定です。一応の主人公は小南智尋という中学生の女の子。彼女が塔上洋太や転入してきた大原深海(ふかみ)たちと、浜で泳いだり、ボートにのったり、イルカと遊んだり、島の遺跡をめぐったり、台風にあったり、うじゃうじゃしたり。恋愛要素もなくはないですが、とても薄っすらとしています。 誤解を恐れずに言えば、これだけストーリーのない作品もないのです(竹本泉作品は全てそうですが)。なにかのイベントがあって物語が動くのではなく、箱庭世界をただのぞくような、そんな感じです。その箱庭世界がとてつもなく心地良いのです。ある意味ゲームの『ザ・シムズ』に近いような気がします、キャラクターを含めた世界観がしっかりと存在していて、キャラクターの目線で語られる様々な日常が、確実に俺を癒やすのです。