パーツのぱ

綿密な取材で構成されたパーツショップの内情マンガ

パーツのぱ 藤堂あきと
名無し

当たり前ですが、漫画は漫画雑誌にだけ掲載されているものではございません。一般誌や女性誌のなかには漫画が連載されてるものも多いですし、モデルガンやカードゲームなど趣味性の強い雑誌でももちろん掲載されています。囲碁の雑誌や昆虫の雑誌でも連載漫画をみたことがあります。今は大分少なくなってきていますが、パソコン雑誌が大量に発刊されていたころ、やっぱりさまざまな漫画が連載されていて、そんなにパソコン雑誌を読む方ではなかったのですが、『PCコマンド ボブ&キース』(なにげに単行本が三冊もでていた)という、アメコミ調の漫画がいろんな意味でぶっ飛んでいてよく読んでいました。  この『パーツのぱ』もパソコン雑誌の「週刊アスキー」で連載されている作品です。専門誌で掲載されている漫画は、その性質上、ルポものが多いのですが、『パーツのぱ』は完全なストーリー漫画。秋葉原のパーツショップ「こんぱそ」に勤める魅力的なキャラクターが織りなす日常が描かれております。  パソコンパーツに詳しいベテランで年齢不詳ツインテールの本楽、平凡な青年で特徴といえばドジをやらかすことの入輝、あまりパソコンパーツに詳しくないけど大きくて美しい天戸、仕入れなどの裏方作業を完璧にこなすアフロの手木崎など魅力的なキャラクターが、短いページ数で少しずつ少しずつ浸透していき、ゆっくりと世界が広がっていきます。    とはいえ、綿密な取材で構成されているらしくパーツショップの内情が詳しく描かれています。他店の価格を知るためにあれやこれや画策したり、万引きをあの手この手で捕まえたり、社員の着服が問題になったり…。暗い面もきちんと描かれているのも魅力の一つです。  『パーツのぱ』は、1話が2~4pと、週刊連載漫画の通常である16pに比べると圧倒的に少ないページ数の作品です。だからといって、内容がスカスカなわけでも説明不足なわけでもなく、ゆるく前後の展開とつながりつつも一話ごとに導入うと盛り上がりがあるので、不思議な読後感があります。なんとなくですが、NHKの朝の連ドラに近いような、連綿とつづきながらも飽きがこずに、ずっと読んでしまう感じ。これは、きっと普通の漫画雑誌では生まれてこない読後感なのでしょう。

大砲とスタンプ

戦争という極限状況で、何よりも大事な物資を手配する兵站を描いた作品

大砲とスタンプ 速水螺旋人
名無し

学生の頃、友達の家にものすごいヨレヨレのエロ本の切れ端が置いてありました。あまりにも使用感丸出しで、若干引きながらも聞いてみると、「ひと夏の思い出なんだ」と彼は遠い目をしながら言うのでした。後からわかったのですが、それは山岳部の一月続く縦走の際に持っていたものとのこと。危険な山では、水と食料が最優先。一冊まるごとエロ本を持っていくことができないので、お気に入りのページを切り取って隙間に詰め込んでいたとのことです。なんだか、エロ本の切れ端が崇高なものにみえてくるではないですか!普段の生活で、我々はすぐ物が手に入る状況にいるのだなあと思い知った経験です。  戦争という極限状況で、何よりも大事な物資を手配する兵站を描いたのが『大砲とスタンプ』という作品です。この作品を読むと、補給線の大事さと、正論をタテに物事をうまく進める方法が同時に身につきます。  兵站軍は、輸送や補給を主な任務とし、直接戦闘に参加することはそう多くありません。ひたすらデスクワークの連続で他の部隊からは「紙の兵隊」と揶揄されています。  主人公はマルチナ・M・マヤコフスカヤ。アゲゾコ要塞補給廠管理部第二中隊に配属された女性少尉です。  戦場ではしばしば、現地の状況とかけ離れた命令を、少しの不正で上手く回らせていたりもしますが、彼女はそれを許しません。たとえ食糧が尽きた非常事態だろうが、奇襲をうけた戦闘状態だろうが「責任問題ですよ!」といってかき回していく四角四面の女。実際にいればかなりイヤなタイプです。   彼女のその並外れたクソ真面目さと融通のきかなさが騒動の素となり、時には武器になっていくのです。  あるとき、憲兵隊に睨まれた第二中隊は、ついに彼女に本気をださせることにします。「手を抜かず存分にやれ」といわれた彼女は、書類のつづりの間違い、書式の違い、ハンコの薄さなど、ありとあらゆる普通の人はどうでもいいことを指摘し伝票を突っ返し続けます。マルチナの言うことは言い返すことのできない正論。やがて憲兵隊の仕事はマヒしてしまうのです。ついに憲兵隊から「あの女は悪魔です!」と呼ばれるマルチナには悪意はなにもないのです。ただルールを守ることが彼女にとっての正しさなのです。  伝わっているいるはずの話が伝わってないとか、現場でいつのまにか独自ルールができていたりとか、やたら官僚的な人間によって引っ掻き回されてしまうとか、組織である以上、軍隊も会社となにもかわりません。ガタガタしながらもなんとなく組織が機能してしまうんですね。  戦場という極限状況でも、今の我々と変わらず命令ひとつで右往左往してしまう、そんな滑稽さがこの漫画にはあるのです。

平松っさんの心理学

役立たなければ実用本じゃない面白くなければマンガじゃない

平松っさんの心理学 高倉みどり
名無し

このマンガの第一巻の表紙を見たときに 「心理学の実用マンガみたいだが、そもそも  あまり買いたいと思わせない表紙だな」 と思った。 ところが折り返しの解説文に この表紙が色々と心理学を盛り込んだ デザインであることが説明されていた。 それを読んで、え、あ、そうなの、ふーんと 納得はしつつも 「え、じゃそういうことを全く感じなかった  自分っておかしいのか?」 と、へんな興味がわいた。 偉そうな言い方になるが 「ほほう、ならその心理学とやらを  教えてもらおうではないか」 みたいな少々喧嘩腰みたいな姿勢になった。 で、買って読んだ。 面白かったし、勉強になった(笑)。 食品会社の営業現場で仕事に恋愛にと発生する問題に 色々と心理学が応用され解決される。 マンガって少なからず都合が良すぎたりわざとらしい展開とかが 出てきたりするし、それが実用マンガとなると 余計に「そりゃ出来すぎだろ」という話になりがちだと思う。 ヒドイ自称・実用マンガになると、 ありえない話の展開で都合よくハッピーエンドになって、 それでいて役に立つ知識なんて無くて、そもそも マンガにしたことで解りやすくも面白くもなっていない、 というダレトクなんだよ、といいたくなるものもある。 説明セリフばかりで絵適にまったく芸がなかったり。 「平松っさんの心理学」も解説文は多めではあるが、 適度な範囲内だと思う。 最初は、都合の良い話だなあと思う展開もあったが、 第2巻では池田君(主人公?)がドツボに嵌ったり 立ち直ろうとあがいたりもして、 その辺の葛藤とかもマンガとしてチャンと絵で 面白く描かれてあると思う。 それに当初はクールで自信家のキャラかと思った 七尾さん(ヒロイン)が、実は心理的に微妙な部分が あったみたいで、 二人の恋の行方は心理学的な対応が とても重要な感じになっていって・・。 その辺の話が、作者の話の展開が上手いのか、 絵が上手いのかとかで、わざとらしくなくて 面白いマンガになっていると思った。 心理学をマンガ作品にすることで、 解りやすく面白く勉強になるようになっている、 マンガ化したことの意味がある作品だと思う。

まくむすび

創作活動に触れる全ての人々に送る物語

まくむすび 保谷伸
sogor25
sogor25

主人公の土暮咲良(つちくれ さくら)は中学の頃から密かにマンガを描き続けていたのだが、本当に些細な、でも本人にとってはとてつもなく大きなきっかけによって、完全にマンガを書くことを諦めてしまう。そこから高校に入学し、新たに部活に入るという段階で出会ったのが"演劇"だった。 創作活動に対して挫折を味わった主人公が、それまでの経験を活かせる、でも全く違う分野で新たな創作活動に光を見出すという物語。個人的には、挫折から新たな才能を発露するという展開を高校1年生までの非常に若い年齢までの中で、しかも1話の導入の段階ではっきり描いていることを凄く新鮮に感じていて、またその導入があるからこそ、作品全体としてはとても軽妙な雰囲気なのに、作品のバックグラウンドに大きな熱量を感じられる作品になっていると思う。 この作品を読んだ時に2作品ほど頭の中をよぎった作品がある。1つは「フェルマーの料理」。こちらは数学の道に挫折した主人公が料理の道に活路を見出すという物語。主人公が目標を見つける経緯には近いものがあり、理系主人公の作品が「フェルマーの料理」なら文系の作品は「まくむすび」と言えるかもしれない。 もう1作が「イチゴーイチハチ!」。こちらも主人公は怪我という形で野球の道に挫折するが、それまでの経験とは全く異なる生徒会の活動に邁進していく物語。個人的には、最初は半ば強引に引き込まれたものの周囲の人々の影響で徐々に演劇部に馴染んでいく咲良の様子が「イチゴーイチハチ!」の主人公・烏谷や幸に重なって見え、今年惜しまれつつも完結したこの作品のロスを抱えるファンの心を埋める作品になってくれるんじゃないか、という期待をしている。 最後に、これは本当に全くの偶然なんだけど、2019年7月19日という日に「創作活動に対して挫折を経験した主人公がまた創作活動に向き合っていく物語」である今作の1巻が発売され読むことが出来たということは私にとっては救いだった。創作をする人であってもそうでなくても、この作品に触れることでどれだけ傷ついても前を向いて歩んでゆける、そんな作品になっていくのではないかと思う。 1巻まで読了

あした死ぬには、

四十路のあれやこれや

あした死ぬには、 雁須磨子
兎来栄寿
兎来栄寿

アラサー女性を主人公にしたマンガは沢山あれど、四十代以降の女性を主人公に据えたマンガとなると途端に少なくなります。そんな中、雁須磨子さんが素晴らしいアラフォーマンガを生み出して下さいました。 現代日本の平均寿命が八十四歳程だそうなので、まさに人生の折り返し地点であり、「残り時間」について意識させられてくる四十代。幾人かの様々なアラフォー女性を通して、二十代・三十代からの様々な変化、不安や傷つくこと、苛立つことが出てくる様子がリアルに細やかに描かれます。筆者が実際に四十代になって体験し感じたことを描いている部分もあるようで、納得です。 加齢は当然良いことばかりではありません。が、そこまで悪いことばかりでもないとも思わされる、豊かな味わい深さのある物語です。たとえネガティブな事柄でも過剰に悲痛になることがない雁須磨子さんの絶妙な軽やかさがとても利いています。 一回り以上歳が下なものの仕事ができて考え方もしっかりしている女の子や、その子とは正反対にまったく仕事ができない困った上司など脇を固めるキャラも人間臭く魅力的です。 同年代の人にはあるあるとして、下の年代の人には近い将来に自分にも訪れるかもしれないこととして、普遍的な仕事や家庭、健康等の問題への共感として、それぞれに楽しめるでしょう。歳を重ねてから再読するとまた感想も変わる作品かもしれません。 単行本2巻以降掲載部分では内容的にもより広がりを見せてくれています。こういった作品がもっと増えていって欲しいなと思います。

青に、ふれる。

「普通」じゃないことの苦労と、喜びと

青に、ふれる。 鈴木望
兎来栄寿
兎来栄寿

人間は「差異」に敏感な生き物です。「同じ」であることで仲間を形成することもあれば、「違う」ことで排斥することもあります。 本作の主軸となるヒロインは、顔に大きな太田母斑がある女子高生。小さい頃からその容姿によって多くの人がしない苦労を背負ってきた少女です。人に色々と言われることにも慣れて表向きしたたかに生きてはいますが、思春期の女の子として本心では悩んでいない訳がありません。 そんなヒロインの心を動かすのは、一人の男性教師。実は彼もまたとある大半の人とは違う性質を持っていることで子供の頃からいじめを受けるなど辛い想いを味わってきた青年です。 彼らと形は違えど「普通」であることを求められたり「普通」でないことを咎められ傷ついたことのある人であれば、共感できる所は多いでしょう。 一方で、そんな「普通」でない自分をそのままで受け入れてくれる稀有な相手が現れた時の喜びは一入。人生での苦労がなくなることはないでしょうが、それでも優しき理解者と共に過ごす幸せな時間が増えることを祈りながら読んでしまいます。 考え、感じる所の多い良質な作品です。

神絵師JKとOL腐女子

魂の一致というあまりに必然的な関係性

神絵師JKとOL腐女子 さと
兎来栄寿
兎来栄寿

全世界が待ち望んだ『フラグタイム』さとさんによる百合マンガです。 タイトルを読んで字の如く、あまりに尊い推しカプの絵をSNSにアップし続けてくれる神様が、実は年下どころか女子高生だったという実際にあってもおかしくないお話です。 オタクにとって解釈が合うかどうかというのは死活問題です。生きる糧になっている程の作品におけるカップリングや解釈が合わない時の悲しみ・辛みはエイトケン盆地より深いもの。逆に言えば、それが一致する相手との出会いは正に奇跡。 本作の二人は、そういう意味で奇跡的な相性を持っていました。二人ともパーソナリティ的には若干残念な部分がありつつ、しかし二人で推しについて語り合う時間の楽しさはすべてを忘れさせてくれるもの。 JKの方が上げた絵に対して毎回真っ先に長文感想を送っていたOL、そしてJKの方もその感想をとても楽しみにしていたという美しい構図もあり、二人を結びつける絆の必然性を強く感じさせてくれます。 巡り会うべくして巡り会った運命の二人の間に年の差などという障害は無いも同然。優しく穏やかに関係を深めていく二人の様子をただただじっと眺めていたいです。 オタクとしての在り方が確固たる主人公の様子だけでも共感する所は多く、百合要素抜きにしても楽しめる作品です。

アグネス仮面

真面目で暑苦しくて、それでいていい加減なプロレス馬鹿たちの物語

アグネス仮面 ヒラマツ・ミノル
名無し

なぜだか無性に覆面レスラーがかっこ良く思えてきて、勢いでルチャリブレの写真集なんぞを買ってしまいましたが、特にプロレスファンというわけではありません(僕のプロレス知識はスーパーファイヤープロレスリングで終わっている)。ただ、マスクマンのおどけながらも真剣な在り方になぜか惹かれてしますのです。  そんな気持ちにさせてくれたのが『アグネス仮面』という相当な熱血馬鹿漫画。真面目で暑苦しくて、それでいていい加減なプロレス馬鹿たちの物語です。登場人物は皆、少し抜けていますが、それだからこそまっすぐな熱いドラマを魅せてくれるのです。  主人公の山本仁吾は大和プロレスのプロレスラー。長い海外修行から帰国した仁吾は、大和プロレスの社長・ジャイアント安藤(ジャイアント馬場ぽい)が死に、さらに大和プロレスが帝日プロレスに潰されてしまったと知ります。旧大和プロレスのプロレスラーは散り散りになり、海外にいたため皆から忘れられていた仁吾が、最後の大和プロレスのレスラーなのです。ジャイアント安藤の奥さんにそそのかされ、帝日プロレスに道場破りに向かった仁吾は、そこで帝日プロレス社長のマーベラス・虎嶋(アントニオ猪木っぽい)に勝負を挑みます。引退して2年のブランクがある虎嶋に完膚なきまでに叩きのめされた仁吾は、強制的に日系ブラジル人の覆面レスラー・アグネス仮面に仕立てあげられ、なぜか帝日のリングに立つはめに…。こうして仁吾の覆面レスラー人生が開幕するのです。  才能あふれる若きレスラー・仁吾は周囲の様々な人に振り回されます。アントニオ猪木に似ているマーベラス虎嶋がまず酷い。とんでもない無茶は言う、約束は守らない、言ったことは全て忘れる。そもそもアグネス仮面という名前もアマゾン仮面と間違えてつけただけなのです。しかし、仁吾はそれらの指示になんだかんだで従い、がむしゃらに達成してしまう。自分でもなんだかわからないまま、仁吾はアグネス仮面として活躍してしまうのです。  周囲の人たちはみな、目標に向かって真っ直ぐで、熱くて、ただすこしばかりテキトー。ときに凄惨なシーンもありますし、ショックな場面も出てきますが、プロレスに対する疑問はかけらも出てきません。なぜ彼らがプロレスに夢中なのか?なんてかけらも出てきません。ただただ、プロレスが好きで、プロレスが最強だと信じていて、その気持ちを裏切らないように生きていく人たちの熱き物語。  ここで描かれているのはある種の楽園のようなものかもしれないと思います。

お茶にごす。

悩める最強の男

お茶にごす。 西森博之
名無し

「狩る側と狩られる側、キミはどっち」と聞かれれば、僕は当然狩られる側なわけです。生物は抑圧されることであらたな進化の可能性を得ると言われていますが、僕も中高生のころにヤンキーに対するステルス性能を獲得し、幸いなことにいままで絡まれたことはありません(かわりに、精神が不安定な人と野生動物にはよく絡まれます)。そんな僕ですから、ヤンキー漫画は好きではありません。ヤンキー漫画に描かれている友情は仲間内のものだけで、""それ以外”には向けられないからです。""それ以外”な僕がどうして感情移入できましょうか(いやできない)。  今回紹介する『お茶にごす。』はヤンキーが主人公のマンガです。でもヤンキー漫画ではありません。そこに描かれているのは「優しさとはなにか」に葛藤するひとりの青年です。  『お茶にごす。』の主人公・船橋雅矢は恐ろしい人相と人智を超えた強さで、近隣の不良から”悪魔まークン”と恐れられる男です。そんな彼の望みは『平和な生活を送りたい』ということ。しかし、その凶悪な人相に寄ってくるクズを返り討ちにしているうちに、いつのまにか修羅の道へと突き進んでしまったのです。  高校入学をきっかけにほのぼのスクールライフを送ろうと思ったまークンは、部活に入ろうと思うものの、彼の悪評は広まっており誰も目も合わせてくれません。そんなとき、茶道部の部長・姉崎さんが、誰もが恐れるまークンを勧誘したのです!公平に接してくれた姉崎さんに心打たれたまークンは茶道部に入部し、新たな最凶伝説を作っていくのです。  そんなまークンに「アンタの顔が怖いから」といつだってストレートにツッコミをいれる女の子が夏帆。ちょっとばかりガサツで活発な夏帆は、どうすれば優しさを表せられるのか、まークンと同じように悩み、同じように部長にあこがれています。  しかし、まークンが憧れる部長も、特別な人間ではありません。まークンを勧誘した時も膝が震えるほどビビっていたのです。彼女は、人に優しくすることに躊躇しないと決めただけの、普通の人間なのです。  普通なのに優しい部長に憧れた、普通になりたいまークンは、さまさまざな経験から段々と他人に優しくできるようなります。「もしかしたら、自分は人にやさしくできるかもしれない」そう思った時、同時にあることに気が付いてしまいます。それは「災いを呼びこむ自分は、いるだけで他人を傷つけてしまう」ということ。自分が他人に誤解されるのはかまわなくても、周囲の人にまで迷惑はかけられない。  部長を大事に思うからこそ、近づかないという選択をしたまークンを、夏帆は川へ蹴り落とします。そして、彼の人生を変える一言を発するのです。  以前紹介した『道士郎でござる』の道士郎とは違う、悩める最強の男の小さな一歩がとても心地よいのです。全然爽やかな風ではないのに、爽やかな気持ちになれる、不思議なマンガなのです。  それにしても、西森博之先生が描く人間のクズは本当に非道でドキドキしますね!